その後、部隊のメンバーと今日の出陣の話や、昼にあった出来事でのたわいない話をしたら、そのまま体の汚れを落としに、一緒に風呂場へと向かった。
自分だけ内番服に着替えて皆と別れた小夜は、今度こそ庭の方へ向かった。
夜としてはまだ早い方だが、第三部隊以外の短刀達や、長く睡眠をとらないといけない者達が、そろそろ眠りにつく時間帯なので、本丸もだんだん静けさを増していく。
遠征や出陣が無い日は、夕餉の後に厨当番の手伝いとして皿洗いなどをするのだが、遠征から戻れば大体終わっているので、今日は特にする事も無い。
裏庭にでも行こうと廊下を歩いて、既に照明が落ちている厨の前を通り過ぎようとしたら、誰もいない筈の厨から、カタリと小さな音が鳴った。
その音がいくら小さくても、周りが静かなら余計に大きく聞こえてしまう。
小夜は息を詰めて入り口の陰から中を覗いた。
暗い厨の奥で、比較的長身の人影が食器棚の前で、何やらごそごそと棚の中を漁っていた。
夜目のきく小夜が目を凝らしても、暗めの服を着ているのか、誰なのかまでは分からない。
余りにも怪しいので、小夜は本体の刀を取り出して、気配を消してその人影に近づいた。
自分の間合いに入ったところで、いつでも攻撃できるように刀を抜いた。
「誰」
「んん!?……お、おお、小夜か。肝が冷えたぞ」
いきなり声を掛けられて振り向いたのは、焦った顔の三日月宗近だった。
まさかの刀に固まってしまった小夜だったが、すぐに我に返って、刀を鞘に納めた。
「ごめんなさい三日月さん、怪しかったからつい……明かりも点けずに何をしていたんですか」
「ああ、茶でも飲もうと思っていたのだが、暗くて湯呑みが見つからなくてな。この辺りを探していたのだ」
「……明かりをつければいいのではないですか?」
そう言いながら厨の入り口にある明かりを点けたら、湯呑みはあっさりと見つかった。
「おお、こんな所にあったのか。小夜も一緒に飲まないか?」
「いえ……僕はいいです」
「夜はまだ長い。どうかこのじじいの暇をつぶすのを、手伝ってはくれぬか?」
「……そうか、今日は満月でしたね。……わかりました」
夜は長いと言う言葉に、小夜は今夜は満月だった事を思い出した。
三日月は新月の日には全く起きられないが、逆に満月の日には全く眠れなくなる体質だ。
その為夜に生活する小夜は、満月の夜に眠れない三日月に誘われて、よくお茶を一緒に飲んていた。
「うんうん、ではもう一つ湯呑みを取ってきてはくれないか?その間に俺は湯を沸かしておこう」
小夜がもう一つの湯呑みを取り出して、先程の湯呑みの隣に置いている間、三日月はたどたどしい手つきで、電気ケトルでお湯を沸かし始めていた。
「この『けとる』とやらは、実に便利でな。俺でも湯を沸かせるから、いつでも飲みたい時に茶が飲める」
三日月はそう話しながら、今度は慣れた手つきで茶葉を袋に入れて、急須の中のカゴにそれを詰めた。
そうこうしている内に、そこまでの量を入れていなかったケトルが、お湯が沸いた事を知らせる音がカチリと鳴った。
「ふむ……小夜がいるのならば、茶請けがあればよかったのだがな。今日はあいにく切らしているようだな」
「あの……よかったら、これ」
三日月が茶請けを探す為に戸棚を漁っていたが、小夜が残りの金平糖の包みを取り出すと、彼はパッと表情を明るくした。
「おお、金平糖か。いいのか?」
「はい。……全部は食べられませんから」
「では小皿も用意しよう」
そう言って三日月は朱色の小皿に懐紙を乗せて、小夜の金平糖をカラカラと出して、小さな山を作った。
「では小夜はその小皿を運んでくれないか?俺は茶を運ぶとしよう」
「今宵は満月故、庭の夜顔が実に綺麗に見えるなあ」
「そうですね」
厨から出て少し歩くと、裏庭に出る。
裏庭には資材を補完する為の倉庫と、宗三が育てた花が植えられた複数の花壇がある。
花壇には一年中花を楽しめるように、季節ごとに様々な花が植えられていて、今では向日葵、マリーゴールド、夜顔の三種類の花が咲いていた。
なぜこの三種類なのかというと、向日葵は本丸の皆からのリクエストが一番多く、マリーゴールドは宗三の趣味で決められた。
そして最後の夜顔は、夜に活動する小夜の為に、夜でも楽しめる花をという事で、宗三が江雪と一緒に考えて決めたのだ。
夜に楽しめる花とだけあって、月の光を浴びた夜顔は、薄闇の中で白く浮かび上がり、まるで宙に浮いているかの様にも見えた。
二振りはそんな夜顔と、それを照らす月が一等綺麗に見える縁側に腰を下ろした。
移動している時間は、茶を蒸らすのに十分だったのだろう、三日月が入れた茶は丁度いい濃さになっていた。
「ほれ、舌をやけどせぬようにな」
「……ありがとうございます」
差し出されたお茶を受け取った小夜は、何度か息を吹きかけてお茶を一口飲んだ。
お茶の熱さが胃へ落ちていく感覚にホッとして、小さく息をもらした。
「小夜はいつも茶を飲む時に、いつも一口飲んでは息をつくなあ」
「温かい飲み物を飲むと、ホッとするから……三日月さんはそんな事ありませんか?」
「うむ、どうだろうな……ふう。……おお、俺もそうだな。はっはっは」
三日月もお茶を一口飲むと、小夜と同じように一息をついたので、自分も同じだとほけほけと笑った。
それからそれぞれ金平糖を食べたり、お茶を飲んだりを繰り返した。
特に会話が弾む事も無かったが、不思議とその沈黙は苦では無かった。
「ん?おお、小夜。蛍が飛んでいるぞ」
「?……どこですか?」
「ほれ、あそこだ」
三日月が指をさしている場所に目を向けると、遠くの夜顔の近くで、小さな光がふわりふわりと漂っていた。
その幻想的な光景に、二振りは何も言わずただ目を奪われていた。
「きれい……」
「宗三の育てた花は実に見事だな。どの季節に咲く花も生き生きしている。歌仙がこの花壇を見て、歌を詠みたくなるのも頷ける。特にこの時間の夜顔は、月の光に良く映えているな」
「……宗三兄さまは丁寧だから、花の手入れがとても上手なんです」
宗三の花を褒められた事に、小夜も少し嬉しくなって僅かに口角を持ち上げた。
「この時間は夜顔が美しく見えるが、昼の向日葵も中々壮観でな、花の色と相成ってこちらの気分も明るくなる」
「……夜顔とは反対で、向日葵は昼に咲く花ですからね。今は俯いています」
「小夜にも見せてやりたいがなあ……」
そう言って三日月は残念そうに、形の良い眉を下げた。
「今度、江雪兄さまが昼の向日葵の絵を描いてくれるらしいから……大丈夫です」
「そうか、江雪は絵を描くのか」
江雪は趣味で水彩画を描いている。
ふとした時に沈んだ表情を浮かべる彼に、粟田口の短刀達が気晴らしにと、絵を描く事を勧めたのだ。
始めは短刀達と同じように色鉛筆を使っていたが、他の描き方はないかと探して、嵌まったのが水彩画だった。
思い描く色を作るのが難しく、最初は四苦八苦していたが、枚数を重ねるごとに上手くなり、今では売れるのではないかと思える位の腕前にまで上達した。
そんな江雪は、夜にしか生活できない小夜に、昼の景色を描いてくれるのだ。
「……見てみますか?」
「良いのか?ならば見せてもらおうか」
「じゃあ、取ってきますね。……三日月さんの部屋でいいですか?」
「ああ。湯呑みは俺が片付けておくから、先に俺の部屋に行って灯りをつけておいてくれ」
「分かりました」
小夜は湯呑みに残っていた茶を全て飲み干すと、湯呑みを三日月に渡して絵を保管している書庫へ向かった。

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