「うん、これで書類は全部だな。ありがとうまんば。今日はもう上がって大丈夫だぞ」
数日後、国広が近侍を任されている日になり、彼は審神者の書類仕事を手伝いながら、修行について話をしようと機会を伺っていた。
しかし大量の書類を前にそう言い出せる状況が見つからず、気づけばすっかり夜になってしまっていた。
自分が近侍である今日を逃すと、審神者相手にまとまった時間を確保するのが難しくなる。
書類仕事が一区切りついた今、この絶好の機会に国広は意を決して口を開いた。
「……主。話を、聞いてくれないか」
「ん?どうしたまんば」
国広が声を掛けると、書類を束ねていた審神者が手を止めて振り向いた。
「どうか、聞いて欲しい。大事な話なんだ」
「……分かった。急いで片付けるから、少し待ってくれ」
彼のいつになく真剣な顔に、審神者も表情を引き締めて持っていた書類を手早く片付け始めた。
いつも真剣な話をする時、審神者は机の上の物を全て片付け、国広が部屋の隅の電気ケトルで二人分の緑茶を用意する。
それはいつからそうだったのか、いつの間にか彼らの決まりになっていた。
国広がお茶を淹れた湯呑みを審神者に渡すと、審神者は礼を言って受け取り、国広と机を挟んだ向かい側に座った。
「待たせたな、まんば。……じゃあ、話してくれ」
「ありがとう。話の内容は……修行の事なんだ」
前に話をした時と同じように、審神者は「修行」という単語を聞くや否や、さっと顔色を変えた。
「まんば、前にも言った筈だ。修行の許可は出せない」
この前国広が修行を申し出た時と同様、審神者は眉間に皺を寄せて固い声で言い放った。
以前の国広ならここで一旦引き下がっていたが、今日の目的は修行の許可を貰う事ではない。
国広はだんだん下がっていた自分の目線を戻すために一度座り直して、再度顔を上げて正面から審神者を見据えた。
「……ああ。修行に行きたいと言ったところで、あんたは許可を出さない。だから今日は何故許可を出せないのか、理由を聞きに来た」
「理由、か。……自分は、今のままでも充分戦えると思っている。この前の戦場では相手に遅れを取ってしまったけど、もっと上手い立ち回り方がある筈だし、まだ戦場の敵について知らない事も多い。もっと情報を集めて敵の動きを読むことができれば……」
「嘘だ」
「……」
つらつらと並べられていく審神者の言葉を国広がぴしゃりと遮ると、審神者はギクリと顔を強張らせた。
「試せるものは全部試すあんたの事だ。俺達を修行に出す事も、必ず一度は考えたはずだ。その上で修行に許可を出さないのは……何か別の理由があるんじゃないか?」
「……ない、よ」
審神者は下手くそな笑みを浮かべながら、スッと目を逸らした。
「主。あんたは嘘を吐く時、いつも相手から目を逸らすんだ。もし他の理由があるなら……話して欲しい」
「…………」
図星だったのだろう、審神者はきゅっと口を真一文字に引き結んで俯いた。
「……本当に、何も無いのか?」
「…………」
「主。俺達は、もうこれ以上強くなれないと思っているのか?」
「なっ……ちがっ」
念押しで問いかけても黙っている審神者に国広が質問を変えると、その内容に審神者は眉をハの字にして顔を上げた。
「……俺達が修行に行った所で何も変わらないと思って「違う!!」」
更に畳みかける国広の言葉を遮る様に審神者は大声で否定すると、長い息を吐きながら自分の顔を両手で覆って俯いた。
「違う……違うんだ」
絞り出すように零れた審神者の声は、一番長く共にいた国広でも聞いた事のない位とても弱々しい物だった。
「皆を信頼していない訳じゃないんだ……今のままじゃこの先前に進めない事も分かってる。皆が強くなりたいと思っている事も、分かっているつもりなんだ。けれど……不安なんだよ」
「……何が、不安なんだ?」
「……本当の事を話すから、聞いてくれるか?まんば」
「ああ、聞かせてくれ」
審神者は湯気が立たなくなってしまった湯呑みに一度口をつけてから、目を閉じて長く息を吐くと、意を決して重たい口を開いた。
「……この前の健診で、政府の医者の人に修行の事を聞いて言われたんだ。特殊な体質を持った審神者の霊力によって顕現された刀剣男士達は、極める為の修行に行くと体質が変化する可能性があるって」
審神者から告げられた言葉に、国広は息を呑んだ。
「体質が治るかもしれない。その逆もあるかもしれない。眠れない刀も、目を覚まさない刀も出てしまうかもしれない。どう変わってしまうのか分からない……だから修行に送り出すのが怖かったんだ。……ずっと言えなくて、ごめんな」
顔が見えなくなるまで俯き、重力に従って垂れ下がる前髪の隙間からは透明な雫が零れ落ちていた。
この本丸が始まってから審神者が泣きそうな顔をしたのは何度もあったが、涙を零して泣く審神者は姿を国広は一度も見た事が無い。
いっその事大声を上げて泣いてしまえばいいのに、それでも審神者は唇を噛んで、泣き声を漏らさない押し殺した泣き方しかしなかった。
いつも自分達の前では、たいして高くない身長を少しでも誤魔化すように背筋を伸ばして、胸を張って笑っている審神者が、今では背中を丸めてすっかり小さくなっている。
その姿がかつてこの本丸が始まって間もない頃、自分達の体質の事を知って自分と厚に頭を下げていた姿と重なった。
そんな審神者にこれ以上謝って欲しくなくて、国広は静かに机の向こうに回って、俯いて涙を零す審神者の肩に手を置いた。
「……主、話してくれてありがとう、あんたなりに俺達の事を考えてくれていたんだな」
「……」
「顔を、上げてくれないか」
強い口調にならないように注意しながら国広が声を掛けると、審神者は一度鼻をすすって目元を擦ると、ゆっくりと顔を上げた。
「顕現したての刀達の体質を薬研と相談しながら突き止めようとする姿を、俺は知っている。他の本丸に後れを取らないように、いつも起きていられる限界の時間まで、戦での戦略を考えてくれているのを知っている。皆の本丸の生活を楽しくさせる為に、体質の事も考慮して全員が楽しめる行事を考えてくれているのも。……この本丸で、あんたがどれだけ心を砕いてくれているか、俺が一番よく分かっているつもりだ」
決して揺らがない国広の真っすぐな眼差しに、審神者は目を見開いて息を呑んだ。
「大丈夫だ。この本丸をここまで大きく、強くしてきたあんたなら」
「……まんば」
「どんな俺達でも、俺達がどう変わっても、あんたならきっと上手く扱える」
国広の言葉に審神者の目から再び涙が滲んだが、それを溢すまいと乱暴に袖口で拭った。
姿勢を正して国広と正面になるように正座をすると、審神者は深呼吸してからいつもの顔つきに戻った。
大事な局面で刀達に指令を出す時の様に、国広を見据える審神者の目は、彼と同じで真っ直ぐだ。
纏っている空気を変えた審神者に、国広も一歩分審神者から下がり、跪座の姿勢をとって審神者から発せられる言葉を待った。
「合歓木本丸総隊長、山姥切国広。修行に行く事を許可する。……長く待たせてすまなかった。強くなって、必ずこの本丸に無事に帰ってくるように」
「御意」
静かに告げられた言葉に、国広は頭を垂れた。
「……あ、でも修行に行くのはもう少し後にしてくれないか?」
「……」
「大丈夫だって。一度修行の許可したら、もう取り下げたりはしないから」
先程とは真反対の矛盾した審神者の発言に、国広がジトリとした目つきで睨むと、審神者は苦笑しながら降参するように両手を肩の位置まで上げた。
「今のイベントが終わったら、皆にちょっとしたサプライズとしようと思っててな。まんばにも楽しんで貰いたいんだ。……それが終わってからでも、修行に行くのは遅くないだろう?」
「いや……」
国広はすぐにでも修行に行こうと口を開きかけたが、いつのまにか国広の布の裾をほんの少しだけ握っていた審神者の手が、少しだけ震えているのを見て思わず口をつぐんだ。
「……分かった、楽しみにしている」
ややあって国広が頷くと、審神者は少し寂しげな顔で微笑んだ。

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