夢は終わり

刀剣乱舞刀剣乱舞 一話完結小説

 あの血だまりを見てから、俺にしか見えない血痕は本丸で少しづつ数を増やしていった。
縁側では必ず一日に一回は見かけるようになったし、大広間や厨、つい最近では主の部屋でも見るようになってしまった。
それでも、誰もそれらに気づかない。
他の刀達にもそれとなく聞いてみても、皆不思議そうな顔をするだけだった。

俺の目は、おかしくなってしまったのだろうか。
他の刀の気配がない場所に隠れるように、俺は一振りで蹲って考えた。
 
 一体、いつからこうなったのだろうか……そうだ、確かあの夢を見た時からだ。
俺の首を絞める、誰かの夢。
あれから誰にも見えない血痕が見え始めたんだ。
……もしかしてこの血痕は、あの誰かが見せているのだろうか。
 そうだとしたら一体なぜなのだろう、何かを伝えようとでもしているのだろうか。
今は俺だけしか気づいていないが、他の刀達にも血痕が見えるようになったら、この本丸に良くない事が起きそうな気がする。
怪異の類ではなさそうだが、石切丸あたりにでも相談した方がいいのかもしれない。
今日石切丸が非番だったのを思い出して、彼の部屋へ向かおうと少し重い腰を上げた。

「夢は、もう終わりだよ。……国広の」
「っ!?」

 いきなり背後から声を掛けられて、驚いて背中が跳ねてしまった。
振り向くと、そこには以前見かけた金髪が混じる山姥切長義が立っていた。
前に見た時は横顔だったから、正面から顔を見たのは初めてだ。
うちの本丸の山姥切は、穏やかな表情を浮かべる事が多いけれど、目の前にいる山姥切の無表情はどこか空虚で、無機質な印象を受ける。
前髪に隠れがちになって気づかなかったが、突然吹いてきた風になびいて、この山姥切の左目が俺にそっくりな色をしていた。

「やまんば「長義」っ……」

俺が名前を呼ぼうとすると、強い口調で遮られた。

「俺の事は、長義と呼べ」
「……長義」

固い声で呼称を訂正させる長義に、俺が素直に従うと彼は小さく頷いた。

「あんた、この本丸の刀ではないよな。なぜここにいるんだ?違う本丸から客が来るなんて話は聞いていないが……」
「俺は政府の管理する療養本丸にいる刀剣男士だ。お前の体の世話をしている」
「俺の、体?俺は他の本丸の世話になった覚えはないぞ」

 突然言われた事に、俺は理解ができず首を傾げた。
何も分かっていない俺に何を思っているのか、長義はグッと眉間に皺を寄せた。
口を引き結んで、こちらに近づいてくる。
何か知りたくない物が迫ってくるみたいで、俺には何故か少し怖く見えて、思わず一歩後ずさってしまった。

「お前は、ずっと俺のいる本丸で眠っているんだよ。……いい加減、目を覚ませ」
「ここが俺の夢?目を覚ます?あんたは一体何を言っているんだ」

 長義が言っていた事の訳が分からなくて、けれどその一言一言には力があって、俺は足元がぐらつく心地になった。
長義が言っているのは、全く心当たりのないおかしな話のはずだ。
知らない所からやってきた、よその山姥切長義だと言うのに、何故俺はこんなにも動揺しているんだろう。

「お前こそ、本当は気づいているんじゃないのか?この本丸の所々にある血痕……それに気づかない刀達……この世界は、お前が生み出した偽物だ」
「この本丸が偽物だと……?……一体なんなんだ!いきなり来て訳の分からない事を……あんたがこの本丸の何を知っているんだ!」

 淡々とした口調で、この本丸を偽物と言った。
いくら違う本丸の本歌で、俺を偽物と言うのだとしても、この本丸を偽物呼ばわりするのは許せない。
沸々とした怒りが湧いて、今にも殴りかかりたくなる衝動を抑えながら、俺は長義の胸ぐらを乱暴に掴みかかった。
長義は掴みかかられているにも関わらず、凪いだ顔でされるがままに揺さぶられ続けていた。

「……本丸コード*******。数年前、お前を初期刀にこの本丸は始まった。高い勝率を誇る非常に優秀な本丸だったと聞いている。本丸の刀達は全てカンスト、そしてお前はこの本丸で初めての刀として修行へ向かい、極めて本丸へ帰ってきた」
「……っ」

 長義は静かな口調でこの本丸の事を話し始めた。
資料やデータを読む様な淡々とした口調だったが、声には混じった柔らかさに戸惑って長義から手を離した。

駄目だ。
それ以上は、聞きたくない。

「……体調を崩した審神者の影響で結界に綻びが生じて、大量の時間遡行軍が押し寄せてきた。健闘するも敵の圧倒的な数に次々と刀剣達は折れていき、この本丸は一夜で……」
「やめろっ!!」

これ以上何も聞きたくなくて、俺は耳を塞いで長義から走って逃げ出した。

主、兄弟、山姥切……!!
誰でもいい、誰かいないか。
この本丸の誰かに会って安心したい。
あんなのは嘘だ、そんな出来事なんて無かったんだ。

俺はこの時間帯なら、他の刀が多く集まっているだろうと、大広間の前の庭へ向かって必死に走った。


たどり着いた先には、確かに多くの刀達がいた。
短刀達は笑いながら庭を駆けまわり、それを微笑ましそうに目を細めて縁側に腰かける者や、日当たりのいい柱に凭れ掛かって昼寝をする者がいる。
畑当番から戻って来たのか、まだ土塗れの野菜の籠を抱えて、楽しそうに何かを話している。
いつもの本丸の景色だ。
……なのに、どうして誰の声も聞こえないんだ。

俺の耳が聞こえなくなった訳じゃない。
地を踏みしめる足音や、鳥の声。
道場では手合わせが行われているのだろうか、遠くで木刀が打ち合わされる音が聞こえてくる。
なのに楽しそうに話す口元からは、全員で口パクでもしているかのように、何の音も聞こえなかった。
 しばらく呆然と立ち尽くしていたら、短刀達が俺に気づいて駆け寄ってきた。
笑顔で何か話しかけてきているが、やはり何も聞こえない。

「……!…、……」
「あ……」
「……?………?」

何も返事をしない俺に、次第に短刀達の表情が心配そうな顔になっていたが、俺は何の言葉も返せずににその場から逃げた。


心臓が早鐘の様になっている。
がむしゃらに走っているから息が苦しい。
先程から頭まで痛くなってきた。

再び誰もいない場所まで逃げ込むと、走るスピードを弱めて息を整えようとした。
けれどこんな時に限って上手くいかず、壁に手をついて咳き込みながら、荒い息を何度も繰り返した。

「……ぐっ…!」

ここでとどめとばかりに一段と頭が痛くなって、ずるずると壁に背を預けてしゃがみこんだ。
しばらく頭を抱えて細い息を繰り返して、痛みをやり過ごそうとしたが、頭痛は一向にひいてはくれず、むしろ酷くなっていくばかり。
ふと肩に重い感触に気づいて顔を上げると、主が心配そうな顔をして俺を見下ろしていた。
今日は山姥切が近侍だったのか、主の後ろで同じような表情を浮かべている。

「あるじ……山姥切……」
「……?………?」
「………?」
「……っ!?」

主も、山姥切も、皆と同じ。
心配そうに声を掛けてくれているのは伝わったけれど、どちらの声も聞こえる事はなかった。


「……くそっ、見失った!」

 耳を塞いで走り去る国広を追いかけていた長義だったが、極めた打刀相手に特の長義が機動で勝てるわけがない。
しばらく追いかけていたが、あっという間に見失ってしまった。
長義は毒づきながら辺りを見渡して、国広がいそうな場所を探して走り回った。

 すると、周りの景色が変化し始めた。
のどかな本丸の景色にノイズが走り、地面はひび割れ、晴れ渡る空には厚い雲が覆い始めて暗くなる。
本丸の柱は朽ちて、屋根の瓦は所々剥がれてしまって、障子や廊下には血が飛び散っている。
数秒もしないうちに、幻想の本丸は最初長義が実際に見た、あの放置本丸そのものの状態になっていた。
 国広に何かあったのかもしれない。
そう思った長義は、彼を探す為の足を速めて本丸内を駆けまわった。
闇雲に駆け回っても体力を削るだけだと、走り疲れた長義は歩きながら国広を探す事にした。
視界の端に白い物が見えたのでそちらに足を向けると、誰もいない荒れ果てた庭に国広は立ち尽くしていた。
これはただの偶然なのか、この庭は長義が初めて国広を見つけた場所だった。

「国広の……」
「……」

 長義の声に反応した国広は、ゆっくりと彼の方へ振り向いた。
国広は無表情のまましゃっくり上げる事も無く、無言でボロボロと大粒の涙を流していた。

「……長義……皆の声が、聞こえない……さっきまで聞こえていたんだ。兄弟がいて、主がいて……山姥切とも話していたのに……どんな声だったのか……もう思い出せないんだ」

 人は死ぬと、まず声の記憶から失っていくらしい。
声を思い出せないという事は、彼らを失ってから久しいと言う事を、本当は理解しているのだろう。
長義が声を掛けようと一歩踏み出すと、国広は怯える様に後ずさった。

「国広の」
「……来るな、来ないでくれ。あんたは俺を起こしに来たんだろう?俺はそんな事望んでいない、俺はここにいたいんだ」
「ここにあるのは全てお前が作り出した幻想だ。……ずっとここにいるべきじゃない」

あくまで淡々とした口調で続ける長義に、国広はいやいやと子供がするみたいに首を振った。

「嫌だ、目覚めたくない!……だって目を覚ましたら、俺の帰る本丸はもうない。皆も、山姥切も、もう誰もいない!」

 そうして全てを拒絶するみたいに、国広は頭を抱えてそのまま蹲った。
信頼していた仲間を全て失う痛みは、長義には分からない。
推し量る事はできても、共感したり理解してやる事は出来ない。
それでも肩を震わせ、現実に戻る事を恐れるこの刀を目の前にして、長義まで胸が痛くなった。
それでも長義は、国広を現実へ連れ戻さないといけない。
長義は蹲る彼の前に近づいて片膝をつき、震える肩にそっと触れた。

「すまない……お前はずっとここにいた方が幸せなのかもしれない。現実に連れ戻そうとしているのは……本当は俺の我が儘だ。……だが。お前の山姥切は、ずっとここにいる事を望む刀だったのか?」
「……え?」

 長義が発した言葉に、国広は初めて長義の目をちゃんと見たかの様に、彼の顔を見た。
形のいい眉は僅かに歪められて、色の違う目は射貫く様な強い光を帯びて、国広を試すように見据えていた。
それはかつて聚楽第で監査官として、国広の本丸を監査していた山姥切が、マントの中から国広を見つめていた目と同じものだった。

「主を失い、仲間を失い、恋刀を失って、そんな絶望に打ちひしがれたまま、夢に閉じこもる事を望むような刀だったのか?」
「……」

何も言わず長義を見つめる国広にちゃんと伝わるように、一言一言ゆっくりと問いかけた。

「違うだろう?……膝をついても何度でも立ち上がり、折れた自分の分も最後の瞬間まで、敵を一体でも多く斬り続ける事を望む。山姥切長義はそう言う刀だ。……もう一度聞く、お前の山姥切はずっとここにいる事を望む刀だったのか?」
「……違う」

改めて問う長義に、国広がポツリと返した。

「山姥切は……そんな事、望まない。……けれど、俺は山姥切みたいに強くない」
「……ならば、強くなってみせろ」

弱音を吐いて俯く国広の顔をもう一度上向かせる為に、長義は触れていただけの彼の肩を、思いをぶつける様に強い力で掴んだ。

「強くなって、最後の最後まで戦い抜いて、お前の山姥切に胸を張って会えるように強くなってみせろ。……折れたお前の山姥切を、がっかりさせるな」

 彼の真っすぐな言葉に、国広の目からはまた新しい涙が溢れた。
叫び出したい程の大きな感情は、言葉で言い表せられる物ではなく、両の拳を固く握りしめ唇を強く噛んだ。
一言も言葉を紡ぐ事は無く、涙を零して肩を震わせながらも、確かに国広は小さく頷いた。
彼の泣き顔は決して綺麗な物とは言えなかったが、あの人形の様な状態に比べたら、やはりこちらの方が余程いい顔をしていると、長義はそう思いながら彼が落ち着くまで側にいた。

「……本当は、ここが夢だって事は分かっていたんだ」

ようやく落ち着いてきた国広は、長義にポツポツとこの夢の事について話し始めた。

「……ここに来てすぐに、違和感を感じていたんだ。誰も出陣しない、遠征にも出ない、ただただ平和な毎日で、敵と戦う為に顕現したのを忘れかけてしまう位には……本当に穏やかな日々だったんだ」

目を真っ赤に腫らしながら膝を抱えて、国広は薄い笑みを浮かべた。
眉をㇵの字にした、寂しげな笑みだった。

「いつまでもここにいてはいけないと、内心では思っていても……皆が笑っているのを見たら……離れられなくなって……もう誰もいない現実ではなくて、夢でもいいからずっとここにいたいと思ってしまったんだ」
「……そうか」
「……でも、もうそれも終わりにしないといけないんだな」
「……ああ」
「現実へは……どう戻ったらいいんだ?」
「そうだな……現実へ戻りたいと強く思う事だと、政府の石切丸は言っていたかな」

現実への話を尋ねた国広を見て、長義は立ち上がって服に付いた土を払った。

「……そうか」
「帰る前に、ここでやり残した事はあるか?」
「……いや、決心が揺らいでしまいそうだから……いい」
「そう……ほら」
「……?」

 座ったままでいる国広に、長義は目を逸らしながら手を差し伸べた。
首を傾げたまま不思議そうな顔をする国広の焦れたのか、長義は眉間に皺を寄せて、「ん」と再度手を彼の方へズイと近づけた。
国広が恐る恐る手を伸ばして立ち上がると、突然何者かが国広の背中を強く押した。
いきなりの衝撃で国広も踏ん張りが効かず、そのままつんのめって長義の元へ倒れ込み、長義もいきなり倒れかかってくる国広を慌てて抱き留めた。
いきなり胸元に飛び込んできたので、何かに躓いたのかと辺りの地面を見渡すと、国広と長義以外の誰かの足が見えた。
長義に抱き着く形になってしまった国広は、体勢を立て直して顔を上げると、長義がある方向を見ている事に気づいたので、彼の見ている方向に目を向けると、目を見開いた。

 二振りの視線の先には、折れた筈の山姥切長義が立っていた。
国広が現実で実際に見た最後の血塗れの姿とは違う、汚れ一つ無い戦装束で腕を組んで、国広の事を無言で見つめていた。
しかし、その視線には一切の棘が無く、慈愛に満ちた優しい眼差しで、困ったような複雑な微笑を浮かべている。
 国広は山姥切のこの微笑みが好きだった。
国広が山姥切に甘えたい時に、長義はこの笑みを見せる。
そうして「しょうがないな」と言って、山姥切は国広を抱きしめてくれたのだ。
その事を思い出して、国広はクシャリと顔を歪めて、彼に向かって手を伸ばした。

「山姥切!!」

 国広に呼ばれた山姥切は、少しだけ目を大きくしたが、彼の呼びかけには答えるつもりは無いとでも言うように、ゆっくりと瞬きをした。
伸ばされた手を取る事は無く、代わりに瑠璃色の瞳を細めて、花が綻ぶ様に綺麗に笑って見せた。

『行ってこい。俺の国広』

その言葉だけを残すと彼の体は透けていき、ひとひらの桜の花びらを残して、跡形も無く消えていった。
残された二振りはしばらくその場に突っ立って、消えた彼がいた場所を見つめていたが、急に強い光に包まれて何も見えなくなった。

 重い瞼を押し上げると、白い布団が目に入った。
現実に返って来たのかと、長義は起き抜けの回っていない頭で、ぼんやりと考えた。
国広はどうなったのかと、目だけを動かしてみると、彼は長義より先に起きていたらしく、布団から上半身だけを起こしていた。
声を掛けようと長義は身を起こしかけたが、彼が両手に何かを持って、涙を流している事に気が付いた。

 国広の両手に収まっているのは、彼の本丸にいた山姥切長義の破片。
長義が国広を見つけた時に、彼が固く握りしめていた物だ。
国広が意識の無い間、長義は日に一度簡単に埃を落としたり、布で拭くなどの簡単な手入れをして、彼の枕元の近くで綺麗な布の上に置いていた。
意識の無いまま本丸ごと放置されていた間でも、国広が決して手放す事の無かった物だったから、そばに置いておけば彼に何かをもたらしてくれるのかもしれないと、そんな希望的観測で長義は折れた刀の破片を毎日磨いていた。
 物言わぬただの破片に変わり果てたとしても、国広には彼だとすぐに分かったのだろう。
自分を手を傷つけて血が流れているにも関わらず、その破片を握りしめて、額をその拳に押し付ける様に体を丸めて泣き続けた。
声を掛けて肩を抱き、彼を慰めようとする事はいくらでも出来たのだが、仮に今自分がそうしたとしても、かえって逆効果だろうと思った長義は、再び目を閉じて彼の慟哭を聞いていないふりをした。

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