国広は破壊一歩手前の状態で一刻を争う事態だったので、彼を抱き上げて本丸に帰還すると、すぐさま手入れをする事になった。
政府から支給されている霊力を、本丸の審神者の霊力で顕現している彼になじませる為に、手入れは数日に渡って慎重に行われた。
しかし、手入れが終わっても彼が目を覚ます事は無く、体を巡る霊力の流れは酷く不安定な状態が続いていた。
それでも彼の肉体や本体の部分は既に回復していたので、手入れが終わった後は、そのまま世話係となった長義の部屋に運ばれる事になった。
彼がなぜあの本丸で倒れたままだったのかは、まだ判明していない。
それは現在政府の方で、詳しく調査をしてもらっている。
ごく稀に刀剣破壊からお守りが発動するのに、時間差が生じる場合がある。
もしそうなら彼は折れた事になっていて、救援部隊が本丸の生存者を確認して引き上げてしまった後に、彼は遅れて発動したお守りで刀剣復活をして、そのまま重傷の状態であそこにいたのだろう。
それなら救援部隊が本丸は全滅したと勘違いしてもおかしくは無いが、それでも彼を見落としていた事には変わりはない。
今長義ができる事は、彼が少しでも回復できるように、身も心もゆっくり休ませる事だった。
「……国広の?」
国広が見つかって約十日、国広がようやく目を開けた。
長義が部屋で本を読んでいて、ふと顔を上げたら、いつの間にか彼は目をぽっかりと開けていたのだ。
長義は持っていた本を床に置いて、横たわったままの国広の顔を覗き込んだ。
かなり近くまで顔を近づけてみたが、少しも反応を示さない。
虚ろな目は初めて見つけた時と同じ、光を失って何も写さない。
目を開けただけで、意識が戻った訳では無いようだ。
そっと彼の頬に手を伸ばして、その輪郭をなぞってみると、僅かにかさついた肌の感触と、血色を失って冷たくなってはいるが、ほのかに体温が感じられた。
「……意識が戻った訳ではないのか」
ゆるゆると目を閉じていく国広を見つめながら、長義は頬に手を添えたまま、少しづつ彼に自分の霊力を流していった。
それから数日、国広の世話をする事になった事以外は、長義の生活は通常の日常に戻りつつあった。
本を読んだり、空を眺めたり、時折眠ったりとゆるやかな時間が流れていく。
今日は天気が良かった為、長義は縁側で国広を自分の肩にもたれさせて、彼に日の光を浴びさせていた。
霊力が不安定な状態で、外に連れ出すのは体に障るとも思ったが、ずっと寝かせておくのもあまり良くないだろうと思い、縁側まで連れ出したのだ。
強くない日差しが、じわじわと体を温めていく。
手に持っていた資料を読もうとしていた長義だったが、何者かがこちらに向かって歩いてきたので、表紙を捲ろうとする手を止めた。
顔を上げると、そこには防具や小手を外して青い狩衣のみを身に纏った、三日月宗近が立っていた。
その目は長い睫毛の下に隠されていて、何か不思議な物でも見つけた様に小さく首を傾げていた。
「……馴染みのない気配がするなあ……新しい刀か?長義」
「宗近殿、彼は山姥切国広だ。先日の政府からの依頼で調査した放置本丸にいた刀で、意識が戻らないから今は俺が世話係をしているんだよ」
「おお、確かそなたの写しだったな」
三日月が思い出したように、目を閉じたまま表情を明るくすると、長義は口の端を歪めた笑みを浮かべた。
「……俺はもう、彼の本歌ではないけどね。それより今日は、鶴丸殿はどうしたのかな?あなたが一振で外にいるのは珍しいじゃないか」
「今日は政府の石切丸との禊の日でな、もうすぐ帰ってくると思うのだが……」
「三日月」
温度の無い、冷たい声に三日月が振り向くと、禊を終えた鶴丸国永が全身濡れた状態で立っていた。
他の本丸でよく見かける鶴丸国永とは違い、真白な装束ではない。
今は禊として白くて薄い着物一枚を身に着けているが、普段は髪も戦装束も瘴気で真っ黒に染まっている。
ころころと表情が変わる活発な性格とはかけ離れ、表情から感情はすっかり抜け落ちて、唯一瘴気に染まらなかった黄色の眼は冷えきってる。
元々整っている顔立ちの為、彼の無表情はますます彼を人形めいて見せた。
「戻ったか」
「ああ」
「うむ、いくらか穢れが薄れた気がするな」
「これ以上穢れが酷くならないようにするだけで、別に変わりはしないさ」
三日月が鶴丸の方に手を伸ばすと、指先が彼の髪に触れた。
その濡れた感触に、ずっと伏せられていた目がふわりと開いた。
その瞳にはあの美しい三日月が宿っておらず、常闇の夜空の両眼だけがそこにあった。
「……ん?濡れているが、まだ髪を乾かしてはいないのか?どれ、俺が乾かしてやろう。部屋へ連れて行ってくれないか?」
「……」
髪を触っていた手を鶴丸の方へ差し出すと、彼は無言で彼の着物の裾を少し掴んで、長義の方には目もくれず、そのまま三日月の手を引いていった。
「ではな、二振り共」
「ああ」
振り返って手を振る三日月に、小さく手を振り返した長義は、しばらく彼らの部屋へ
戻っていく二振りをしばらく眺めていたが、すぐに手元にある資料に目を落として表紙を捲った。
資料の中身は、政府が調査した国広の本丸についての事だった。
数年前、国広がいた本丸はとても優秀な本丸だった。
数々の戦場で遡行軍を倒し、演練でも高い勝率を誇っていた。
そんな本丸が全滅した原因は、審神者が体調を崩して霊力が乱れ、本丸の結界が一時的に弱まってしまった事だった。
それはほんの少しの綻びだったのかもしれない、しかしそれを見逃す敵では無く、弱くなっていた結界から、大群の歴史遡行軍が押し寄せてきた。
本丸にいた刀達は皆カンストしていて、皆懸命に戦ったが、相手にする数があまりにも多すぎた。
一振り、また一振りと折れていき、ついには審神者も殺されてしまい、彼の本丸はたった一夜にして全滅してしまったのだ。
国広はそんな本丸の初期刀で最も力が強かったが、彼はちょうど修行から帰って来た直後で襲撃にあい、極になりたてで自分の体の感覚がまだ掴めず、本来の力が出し切れない状況だった。
彼の発見がここまで遅れた原因は、概ね長義が立てた予想と合っていて、お守りの発動に大きな時間差が起きていた事が原因だった。
他にも同じような状況の刀はいないかと、改めて政府の部隊が向かったが、山姥切国広以外の刀剣男士を見つける事はついにできなかった。
つまり、今ここにいる山姥切国広が、あの本丸の唯一の生き残りだという事だ。
そして追記として、当時その本丸の担当の話によると、国広はその本丸の山姥切長義と恋仲だったと資料の隅に小さく書かれていた。
「……山姥切国広と恋仲だったなんて……この山姥切長義も趣味が悪い」
資料を閉じて肩にもたれる国広に目をやると、彼は長義の肩に頭を乗せたまますうすうと寝息をたてている。
手入れが終わって数日、未だに霊力が不安定な国広に、長義は自分の霊力を流して彼の霊力の安定化を図っていた。
彼の毎日の献身のおかげで、国広の霊力は大分安定したが、それでも彼が意識を取り戻す気配は無い。
ここまでして意識が戻らないとなれば、本刃が目を覚ますのを拒否しているのかもしれない。
「まあ……目覚めるのを拒んでしまいたくなる程、いい本丸だったんだろうね……」
長義はいい本丸と言うのを想像してみたが、何も思い浮かべる事はできなかった。
思い浮かぶのは薄暗い部屋だけ、それが長義の気分を沈ませた。
「……疲れた」
溜息をついた長義は、読んでいた資料を横に置いて、国広と互いにもたれ合う姿勢で、静かに目を閉じた。
「長義君」
「……ん」
「長義君」
肩を揺らされる感覚に長義が目を開けると、燭台切光忠が目の前で自分の肩を揺らしていた。
本来眼帯を身に着けている彼の右目は、代わりに白い包帯が包んでいる。
燭台切は長義が目を覚ました事に気づいた途端に、目を合わせないようにさっと目を逸らした。
「……ここで寝ていたら風邪をひくよ。……夕餉が出来たけど、食べる?」
「……ありがとう、頂くよ」
国広を一旦部屋に寝かせて、長義は厨に足を踏み入れると、燭台切は既に食事の用意をしていたので、そのまま厨の中心にある小さなテーブルの席に着いた。
「いただきます」と言って、二振りは会話も少なく箸を進めていった。
「ごめんね、僕に付き合わせて。……まだ、大人数の前に出るのは怖くて……」
「構わないよ、少しづつ慣れていけばいい。俺もあまり集まって食べるのは好きではないしね」
自信のなさげな弱い声で俯く燭台切に、長義は普段の淡々な話し方で、言い方がきつく聞こえないように注意して彼に言葉を返した。
「……国広君はどう?何か変化はあった?」
「変わりないね。眠ってばかりで、目を開けても反応が無い」
「……そっか。早く起きてくれるといいね」
こうした会話をしている間も、長義と燭台切の視線は一度も合わない。
長義が僅かに顔を上げると、燭台切はそれに敏感に気づいて、サッと視線を下に向けて俯いてしまう。
他の刀を心配する優しさは本来の彼の性格なのだろうが、何かを怖がるように目を逸らし、高い背を丸めて俯く姿は燭台切光忠らしいとは言えなかった。
詳しい事は長義は聞いていないが、彼は顕現時のバグによって、顔の右半分を中心に体の至る所に醜い火傷痕がある個体だった。
本刃もそれを他の者に見られる訳にはいかないと、内番着のジャージのチャックは上まで閉められており、他の見える部分である顔や首には包帯が巻かれている。
彼の主である審神者はその容姿を酷く嫌い、彼を離れに半ば軟禁の状態で閉じ込めた。
それから次第に他の刀や審神者の視線が怖くなってしまい、誰とも意思疎通が出来ない状態になってしまった。
そんな彼を見ていた彼の本丸の大倶利伽羅が政府へ通報、そのままこの本丸へやって来たらしい。
長義がこの本丸に来た時はまともに会話すらできなかったが、出会い頭の挨拶から始まり、少しづつ声を掛けて、今では視線は合わないものの、一緒に食事が出来るまでには回復した。
「……そういえば。明日政府から健診として、薬研君が来てくれる事になっているんだ。長義君は聞いてた?」
「……そういえばそんな話があったな。すっかり忘れていたよ」
「薬研君に国広君を診せたら、何か分かるかもしれないね」
「……そうだね。正直俺だけじゃどうすればいいのか手詰っていた所だし、何か進展するかもしれないな……明日薬研君に聞いてみるとするよ」
そう言って話を切り上げた長義は、平らげた夕餉の礼を燭台切に言ってから部屋に戻り、その夜は国広の寝顔を眺めて過ごした。

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