「お前、大丈夫か?」
一振り、長義が縁側で腰かけて遠くをぼんやりと見ていると、彼と縁のある刀、南泉一文字が声を掛けた。
そんな彼もこの本丸にいる以上、他の南泉一文字とは違う。
呪いが進行したせいで猫耳と尻尾がついていて、瞳孔が他の同位体より縦に細長く、猫のそれに近い。
今はあまり誰とも関わりたくないと、以前本刃が言っていたので、長義がこの南泉に会うのは本当に久しぶりだった。
「……珍しいね。君から声を掛けてくるなんて」
長義は無表情のままそっけなく返して、再び本丸の景色に目を向けた。
そんな長義の態度にムッとして、南泉は彼の隣にドカリと座った。
「何か用、かな?」
「用がなきゃ、ダメにゃのか?」
「……別に」
「にゃんか…っ。……なんか、あったろ」
「何故……そう思ったのかな」
「別に、にゃんとなくだ……にゃ……うう゛~」
猫の語尾が出てしまうだけでなく、途切れ途切れの舌っ足らずな話し方に、本刃がもどかしく感じたのだろう。
尻尾を床にパシリと叩きつけて、しばらく苛立った様に唸りながら、頭をバリバリと掻いていたが、ジャージのポケットに入っているメモ帳とペンを取り出した。
どうも短い単語でも舌足らずになってしまう為、長い文章を喋るのが苦手になってしまっているらしく、長い話になると彼は筆談で会話をしていた。
殴る様にメモに何かを書いていくと、南泉は書いた文章を長義の顔の前に突き出した。
『ここ最近、いつも以上に疲れた顔をしているぞ。国広の世話、大変じゃないのか?』
「ここ最近って……何、俺の事でも見ていたの。しばらく誰とも関わりたくないと言っていた君が?」
『そんな顔してたら、嫌でも目に入る』
怪訝そうに目を細める長義に、南泉はフンと鼻を鳴らした。
「……大変ではないよ。たまに霊力を流して、体を拭いてやっているくらいだ」
『この前行ってた演練場の任務で、何かあったのか?』
「……」
『図星か』
「……どうして、君に話さないといけないのかな?俺はもう、君の腐れ縁の刀とは違うのに」
馴染みの刀にそう言われて苦々しい顔をした南泉だったが、すぐに怒った顔に戻って、再度メモに何かを書いてまた長義の顔の前に突き出した。
『じゃあ、腐れ縁じゃなくてこの本丸の先輩として話を聞いてやる。お前何かあっただろ?話してみろ』
「はあ……強情だね」
メモを読み終えた長義は、表情を変えずに南泉に目を向けると、梃子でも動かぬと言わんばかりの強い目で長義を見返すので、長義はため息をついてとうとう折れた。
「……演練場で、極めた山姥切国広が戦っているのを見たんだ」
静かな声で話し始める長義に、南泉は続きを促すように無言で頷いた。
「……その姿が勇猛でね、俺にはとても眩しく見えた。……それで、国広のが戦う姿はどんなものだろうかと考えてしまって……眠り続けている彼が許せなくなってきたんだ。……気が付けば彼の首を絞めていた」
「んにゃあ!?」
驚いた声を上げる南泉のリアクションが面白かったのか、長義はクスリと笑った。
「ふふっ……殺してはいないさ。すぐに止めてしまったよ……ただ、あれはこんな所にずっといるべきではない。……そう思うんだよ」
そう言って長義はまた物憂げな表情に戻って、どこか遠くを見つめた。
南泉がいた前の本丸には山姥切長義はいなかったが、刀剣男士になる前の記憶にあったあの高慢な笑顔を、この山姥切長義は出会ってから一度も見せていない。
ほとんど無表情で、たまに笑うとしても彼の写しに似た、卑屈で皮肉めいた歪んだ笑みだ。
そんな彼は今、どこか疲れていて憔悴しているようにも見えた。
『二、三日俺にあいつを預けろ。少しは休め。ここ数日寝れてないだろ』
突きつけられた三行を見て、長義は目を丸くした。
確かに長義はこの数日、眠る事ができなくなっていた。
布団に入っても、首を絞めた後の苦しそうに息をする国広が頭に浮かび、また同じことをしてしまうのではないかと言う考えが、ぐるぐると思考を支配して、どうしても眠れなくなってしまうのだ。
それを証拠に、長義の目元にはうっすらと隈が出来ていた。
「……すまないね。お願いするよ」
南泉に指摘されて、自分が想像以上に滅入っていた事に気づいた長義は、疲れた顔で彼に国広の世話を頼み、数日一振で休養を取る事にした。
数日後、ようやく体の調子も戻った長義は、南泉に礼を言って国広を自分の部屋に引き取った。
部屋の換気の為に部屋の障子を開けると、目の前に大きな人影が現れた。
淡い緑の狩衣と政府の腕章を身に着けた、政府の石切丸だった。
いきなり隣の襖から人影が出てきて驚いた顔をしていたが、長義に気づくとすぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「おや、久しぶりだね長義君」
「久しぶり、石切丸殿」
「体調を崩していたと聞いていたが、大丈夫かい?」
「大丈夫。もう回復したよ」
「それはよかった。おや?彼は……」
長義の後ろで眠っている国広に気づいた石切丸は、目を丸くして部屋の中を覗き込んだ。
「ああ、石切丸殿は初めてだったか。彼は山姥切国広、数年前に壊滅した本丸でずっと放置されていた所を、半年程前に俺が保護した。……けどここに来てから、ずっと意識が戻っていない」
「なるほど……少し失礼するよ」
石切丸は考えるそぶりを見せてから、長義の部屋の中へ入ると、国広の傍らで正座をして、彼の額に手を当てて、何かを感じ取る為に目を閉じた。
何をするつもりなのか分からない長義は、彼の集中を乱さないように襖を閉じて、彼から離れた所に座った。
しばらくして石切丸が目を開けると、少し難しい顔をして長義に向き直った。
「……どうやら彼の意識は、自分の夢の奥深くに潜り込んでいるようだね」
「自分の……夢の中?噂話の類では無かったのか?」
「残念ながら噂話ではないんだ。……こうなってしまった刀剣男士を、僕は政府で何度か見てきている。現実から逃げてしまいたいと強く願う事で、こうして実際の肉体に意思が宿らない状態になってしまうんだ」
そう言って石切丸は、彼の額に手を当てていた際に、乱れてしまった髪をすいて簡単に整えてやっていた。
ピクリとも動かない国広を、長義も見つめる。
思い返せば、彼が眠っていて魘されているのを一度も見た事がない、それは少なくとも今の彼は悪夢を見ていないという事だ。
夢すらも見られない程意識を落としている事も考えられるが、手入れがされて体は健康体そのものなので、それも考えにくい。
そうなると石切丸の言う通り、彼は覚めたくない夢を見続けているのも納得がいった。
「現実から逃げてしまいたい、か。……彼を連れ戻すには、どうしたらいい?」
長義の言葉に、石切丸は驚いたように目を丸くした。
「そうだな……彼の夢の中に入って、彼が現実に戻ろうと思わせないといけないね。けれど、この方法はかなり危険だ。今まで沢山の者が夢に潜り込んだ者を連れ戻しに行ったけど、夢に取り込まれてしまって、どちらも現実に戻れなくなってしまった。そう言う事が何度も起こっている。……その危険を冒してまで、君は同じ本丸でもなかった彼を起こそうと思うのかい?」
改めて長義に向かい直って、厳しい言葉を掛ける石切丸の表情は真剣そのものだ。
それだけ他刃の夢に入り込む事は危険な事なのだという事が理解できた。
それでも長義は食い下がり、自分の意志を曲げるつもりはなかった。
南泉に国広を預けて休養を取っている間、長義は一振り部屋でずっと考えていた。
彼を起こして、自分はどうしたいのか。
国広の首を絞めてまで起こそうとした理由を、彼に目覚めて欲しいと思う理由を。
彼にはまた戦って欲しいのだ。
あの演練場で見た山姥切国広の様に、こんな所でずっと眠っていないで、国広にはまた戦って欲しいのだ。
例えそれが彼にとって辛い現実を突きつけようとも、途方もない絶望であっても、それでももう一度立ち上がって戦って欲しいのだ。
それがただの自分の我が儘であっても、長義は国広が戦っている姿を見てみたいと思ったのだ。
「……確かに、国広のは俺が約半年間ここで面倒を見ていただけの関係だ。会話もした事も無いし、今でも彼は俺の事は認識はしていないだろう。……けれど、俺は見てみたい、彼が戦っている姿を。戦場を駆け、敵を斬り、ちゃんと意志を宿した眼で前を見据える姿を……俺が見てみたいんだ」
不揃いの色の瞳で、長義は真っすぐに石切丸を正面から見つめ返した。
長い沈黙の後で先に折れた石切丸は、小さく息を吐いた。
「分かった。では私も協力しよう。……彼の隣に横たわってくれ」
石切丸に促されるまま、長義は国広の隣に横たわった。
横たわる二振の頭の間に座りなおした石切丸は、そのまま彼らの額に手を添えた。
「私が手伝えるのは、彼の夢の中に君を送り込むだけだ。帰りは自分達の意志で戻ってくるんだ。……ここに帰りたいと、強く願うんだよ」
「分かったよ」
「では。心の準備が出来たら、彼の事を思いながらゆっくりと目を閉じてくれ」
長義は目を閉じる前に、今一度国広の方へ目を向けた。
こうしてみると思ったより睫毛が長い、眠っている間は本当に表情は安らかだ。
彼が目覚めたらどんな顔をするのだろうか……きっとどんなに歪んだ表情だったとしても、少なくとも今の死人の様な寝顔よりはずっといいだろう。
そう思いながら長義はゆっくりと目を閉じて、何かに引っ張られる様に意識を落とした。

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