授業が終わった放課後、スレイドはバイトと待ち合わせ場所と決めていた中庭で、木の下の芝生に仰向けになって、ぼんやりと空を眺めていた。
スレイドにとって空は、陸に上がってから生まれて初めて見た物の一つだ。
人間の姿になれる変身薬を飲んで、初めて海から顔を出して最初に見たのが青い空と白い雲。
最初はもう一つの海と勘違いをしていたが、時間によって色を変えて表情を変える雲と空は、スレイドを強く惹きつけた。
太陽の光は目が刺されるように眩しく感じるのでサングラスをかけないといけないが、サングラスをかけてしまうと黒いレンズで空の色が褪せて見えてしまう。
なので最近は薄暗い木陰に入って、サングラスを外して空を眺めるのが今の彼のマイブームだった。
「おい、お前!」
しばらくそうしていると、肩をいからせて顔を真っ赤にした生徒が、大股で近づきながら寝っ転がっているスレイドに声をかけた。
しかし本人には聞こえていないのか、聞いていないのか、仰向けの姿勢から全く動く様子がない。
相手をする気も無いのかと、声をかけた男は更に苛立ちを募らせた。
「お前だよ聞こえてんのか!?」
男がスレイドの胸ぐらを掴んで無理矢理彼を起こした。
ようやく男に目を向けたスレイドは、胸ぐらを掴まれたまま、のんびりとした手つきで胸ポケットに入れていたサングラスをかけた。
「……俺に声掛けてたの?俺『お前』って名前じゃないから分からなかった」
「ああ゛!?ふざけてんのかてめえ!!」
「ふざけてるつもりは無いんだけどなあ……」
動揺する素振りも見せないスレイドに男は激昂したが、当の本人は暢気に自分のメッシュの黒髪を指でいじっていた。
「あんな対価払えるわけないだろ!!それなのに俺達をボコボコにしやがって……何が契約だ!あんなの詐欺だろうが!!」
「対価?払う?……何の事?」
全く身に覚えのない話に、スレイドは不思議そうに首を傾げた。
「しらばっくれるな!!お前もあいつらの仲間なんだろうが!!」
「あいつら……あ、そうだ。俺最近よく見られてる気がするんだけど、これってあんたが俺に声を掛けて来たのと関係ある?」
「は?」
突然話を変えられた男は、虚を突かれたようにポカンとした顔になった。
「俺はどうでもいいんだけど、バイトが鬱陶しいみたいで。あんたの言う『あいつら』って、俺と似ている『何か』と関係ある?」
「惚けやがって、リーチ兄弟の弟が!!」
聞きなれない単語に、スレイドは少し考える様にゆっくりと瞬きをした。
「……『リーチ兄弟』って、何?」
「お前の兄貴のジェイド・リーチとフロイド・リーチだよ!!」
「俺、今兄弟いないし。そんな奴知らないけど」
「そんなそっくりなツラして、あいつらと他人だなんて信じられる訳ねえだろうが!!」
「へえ……俺と似てる『あいつら』って、そいつらの事なんだ……ふふ、どんな奴らなんだろう?」
スレイドは自分と似ていると言われている彼らの事を思いを馳せて、面白そうに口に手を当てて小さく笑った。
そしてその仕草は、苛立ちが募りに募った彼の堪忍袋の緒が切れるトリガーになった。
「いちいちカンに障る奴だな……もういい、お前を人質に使ってあいつらを脅してやる!お前がリーチ兄弟の弟だろうと何だろうと、自分の寮の奴が捕まったとなると、アズールの奴が動かない訳にはいかないからなあ!!」
男はスレイドを乱暴に突き飛ばすと、マジカルペンを取り出して攻撃魔法を放った。
するといくつもの鋭い風の刃が生まれて、真っすぐスレイドへ襲い掛かった。
至近距離で放たれた魔法に気づくと、スレイドはその魔法を凝視しながら、胸ポケットに入れていたマジカルペンに手を添えた。
「『残念、はずれ』……すり抜ける鰭(スリップ・ザ・ハート)」
「なにっ!?」
スレイドが呪文を唱えると、彼の姿がその場から消え去り、代わりに何の変哲もないただの石ころが現れて、軽い音を立てて地面に転がった。
「消えた!?あいつどこに行ったんだ?」
「ふふ、こっちこっち」
「っ!?」
背後の小さな笑い声に男が振り向くと、姿が消えたと思っていたスレイドが井戸の屋根の上に立って、クスクスと笑いながら男を見下ろしていた。
「なっ、いつの間に!?何をした!?」
「ふふ。……さあ?」
驚く男を見下ろしながら、スレイドはコテンと首を傾げて惚けてみせた。
「じゃあ聞きたい事も聞けたし、俺もう行くよ」
「おい、まだ話は終わってねえぞ!!」
満足げに笑って井戸から立ち去ろうとするスレイドに、男が引き止める為に彼の足元に小さな攻撃魔法を放った。
既に男に興味を失っているスレイドは先程の笑顔を消し、元の無表情で面倒くさそうに男に目を向けた。
「あんたがどんな文句言いたいのかは分かんないし興味も無いけど、文句があるならちゃんとその『リーチ兄弟』に言った方がいいよ?俺そいつらの事も、『商売』とか『対価』の事も知らないし」
「ふざけるな!さっきから舐めた態度取りやがって」
男は再びマジカルペンを振りかざして、無数の攻撃魔法を放った。
「はあ……さっきから文句ばっか。魔法も単純でつまんないし」
すっかり頭に血が上っている男の単純な魔法を見ながら、スレイドはうんざりしたように溜息を吐いて、マジカルペンを振るって全ての魔法を弾き返し、少し強めの魔法を放って、男からマジカルペンを取りにいけない場所まで弾き飛ばした。
「なっ」
マジカルペンを無くすと、男は目に見えて動揺した。
呆然とマジカルペンが飛んでいった方向を見つめている男に、背後から「ねえ」と一段低くなった声に背筋が凍った。
恐る恐る振り向くと、今までの彼とは別人と思えるほどの冷たい目で自分を見下ろしていた。
それは契約の取り立てで酷く痛めつけられた時に、地面に這いつくばる自分を見下ろす、あの捕食者達の冷たい目と全く同じものだった。
「俺今待ち合わせしてるから、あんたに付き合う時間ないの。……けど、いきなり攻撃されたから、ちゃんとあんたに『お礼』はしないとね」
再度マジカルペンを構えたスレイドの口角が不気味に上がるのを見て、丸腰になってしまった男はサッと顔色を悪くして、彼に制止の声をかけようとした。
「まっ…」
「じゃあね」
男の声をまるで聞いていないかの様に放たれたスレイドの魔法は、男の周りでバチバチと弾けて色とりどりの無数の煙幕となって襲い掛かった。
「ゲホッ、ゴホッ……って、なんだこれ!?」
煙幕が引いていくと、男は自分の姿がとてもカラフルに染められている事に気が付き驚愕した。
どうやら煙幕の正体は大量のカラーパウダーだったらしく、それを全身に浴びてしまった男は、頭からつま先まで赤やピンクや青や緑などの粉まみれになってしまっていた。
かなり細かい粒子になっているようで、通常の洗濯では落ちないであろう自分の姿を見下ろして呆然とした。
我に返って井戸の屋根の上を見上げると、そこにはスレイドの姿はなく、慌てて辺りを見渡しても彼の姿を見つける事はできなかった。
「畜生!あいつ覚えてろよ……!」

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