11、「……一本くらい噛みちぎっておけばよかったかな」

ツイステッドワンダーランド生き別れのウツボの人魚

「獅子の君(ロア・ドゥ・レオン)のスケッチはどうだった?かなり至近距離でスケッチさせて貰っていたね」

 スレイドがスケッチブックを捲って自分が描いた絵を見返していると、いつの間にか隣に笑顔のルークが立っていた。
何者かの僅かな気配と密かな足音には気づいていたが、どうやら自分の絵に気を取られて、彼にここまで距離を詰められるまで気づけなかったらしい。
魔法で姿を消していたはずなのに、自分がレオナのスケッチをしているのを何故か知っているルークに、スレイドは目を丸くした。
 
「……あんた、俺がレオさんのスケッチしてたの気づいてたの?」
「姿は見えなかったけどね、それに音も匂いもとても上手に隠せていた。実に素晴らしい完成度の認識阻害魔法だったよ」

ルークはニッコリ笑ってスレイドの魔法を手放しで褒めた。
 
「けれど獅子の君(ロア・ドゥ・レオン)の近くの芝生が靴の形にへこんでいたからね。形状、サイズ、芝生のへこみ具合から推測できる体重が君の物と一致していたから、スレイドくんがそこにいると思ったのさ」
「なるほど……足元までは考えてなかったな」

人魚の姿の感覚で自分に魔法を掛けていたので、自分が地面に足をつけている事を失念していたようだ。
スレイドは少し考え込んで口元に手を当てると、ややあって小さく頷いた。 
 
「うん、次はもう少し上手く隠れてみるよ。あんた自分で狩人って言うだけあって、いい目持ってるんだね」
「ふふ、メルシー。狩人にとって目は大切な武器だからね」
「ふうん。……あっ」
 
いつの間にか手元がおろそかになっていたらしく、ぼんやりと相槌を打っていたスレイドの手からスケッチに使っていた鉛筆が一本滑り落ちて、カラカラと音を立てながら石畳の地面を転がっていった。

「落ちちゃった」
「……君は、私にあまり警戒しないんだね」

スケッチブックから転がり落ちた鉛筆を、しゃがんで追いかけるスレイドの背中を見つめながら、ルークは聞こえないくらい小さな声で呟いた。


 ルークは普段から獲物の動きは何一つ見逃さないようにしている。
そして自分が観察されている事に気づいたら、大抵の相手は警戒していつでも逃げたり反撃に出られるように身構えるものだ。
しかしスレイドは違う。
体も強張っている箇所も無いし、歩き方にも瞬きの数にも乱れがなく、脈拍や息が上がっている様子もない。
スレイドはいとも簡単にルーク背中を見せて、自然体の状態でその場にいた。

 以前ルークがジェイドを観察していた時は、観察を始めてすぐに視線に気づかれ、数日後の体力育成の授業にジェイドの背後の茂みで観察していたら、どうやら距離感を誤ったらしく彼に見つかった。
その笑顔には表面上はにこやかだったが、物心ついた時から厳しい生存競争の中生き抜いてきた強者の余裕と、これ以上はただじゃおかないという牽制の色が浮かんでいた。

 そんな彼の故郷の珊瑚の海より、遥かに深くて暗い海からやって来たらしい人魚。
生身の人間では到底辿り着けない深海の世界は、ルークも本や写真の中でしか触れ合う機会が無い。
獲物にありつく機会が少ない過酷な環境ではあるが、表層の海に比べて外敵に襲われる機会も少なくなり、無駄なエネルギーの消費を抑える為にあまり動かない生物も多いとも聞いた事がある。
写真で見た深海生物達は、陸や浅い海の生き物の動の美しさとは真反対の、静の魅力があってとても興味深い。
……どこまで踏み込めば、どこまで手を出せば彼の自然体を崩せるのだろう。
思わぬ反撃をされてしまうのだろうか、それともいとも簡単にこの手に捕まってしまうのだろうか。 
そんな好奇心からルークは、前方の地面にしゃがみ込むスレイドの首元へ手を伸ばした。

「グッ!?」

 ルークの手がスレイドの首に届こうとした瞬間、その寸前でスレイドが勢いよく振り向き、ルークが伸ばしていた手の指が彼の口の中へ入ってしまった。
驚いたスレイドが反射的に口を閉じてしまったので、彼の鋭い歯は実験着の分厚い手袋の布を食い破り、ルークの指に深くまで食い込んだ。

「ぷはっ。あー……びっくりした。ごめん狩人さん。話しかけようとしたんだけど、口に指が入っちゃったみたい。指大丈夫?」
「…………」
 
手袋の土で頬を汚し、口の端をルークの血で赤く染めながら、僅かにずれたサングラスの下から覗くゴールドの両目は、陸の獣達が獲物に狙いをつけている時と同じようにギラついていた。

 ルークはスレイドの声をぼんやりと聞きながら、破れた手袋から滴り始めた血を見つめていた。
油断していた訳ではない。
ただの偶然が重なっただけだとしても、全く反応が追い付かなかった。
背後からの気配を敏感に感知する優れた感覚、静から動への切り替えの速さ、それらがルークの予想を遥かに上回ったのだ。
先程のスレイドの一連の動作の一つ一つが目に焼き付いて、身体の奥から高揚感が湧き上がってくる。
 
どうやら彼を見くびっていたらしい。 
……ああ、目の前の強い捕食者のなんと美しいことだろう!

「狩人さん?指そんなに痛い?」
「……いや、平気だよ。キミの肩に埃が付いていたから、取ろうとしたんだ。どうやら驚かせてしまったようだね」
「…………」
 
スレイドに再度声を掛けられて自分の世界から舞い戻って来たルークは、取り繕って彼にニコリと笑いかけた。
スレイドは無言で彼の目をじっと見つめると、立ち上がって未だ血が止まらない彼の手にそっと触れた。
 
「結構血が出てるから早く保健室行った方がいいよ。手当してあげたいけど、俺手当できる物持ってないから」
「心配には及ばないよ、寮に自分用の物を一式用意しているからね」
「そう?」
「それよりキミも早めに口をゆすいだ方がいい。土を触っていた手袋を口に入れてしまったからね、頬も土で汚してしまったし」
「あっ、本当だ。なんかまずいしジャリジャリする」

ルークに指摘されてスレイドが口元に手を添えると、口内に広がる不快な味と異物感に眉を顰めた。
 
「じゃあ私はそろそろお暇させてもらうよ。また次の授業で会おう、ムシュー・深淵」
「うん。またね、狩人さん」

ルークが植物園から出ていく姿を見届けてから、スレイドは親指で口の端に付いていた血を拭った。

「狩人さんの動き、ギリギリまで気づけなかったな……危なかった」
「へぇ、やるじゃねえか」

 背後からの声にスレイドが振り向くと、腕を組んだレオナが目を細めて木にもたれかかって立っていた。
先程までの気怠げな表情とは違って、彼は面白いものでも見たような、愉快そうな笑みを浮かべていた。
 
「なんだ、レオさん起きたの?」
「気づいてた癖によく言うぜ。……お前。さっきのアレ、わざとだろう?」
「……ふふ、ばれた?」

レオナの指摘にしばらくスレイドは無表情のまま黙っていたが、不意に口の端をニッと持ち上げると、イタズラが成功した様な笑みを浮かべてコテンと首を傾けた。
 
「クククッ。あの変態狩人のマヌケ面、中々いいもんが見れた。……お前、名前は?」
「あ、ジコショウカイしてなかったね。俺スレイド」
「スレイドか。まあ、名前くらいは覚えといてやるよ」

レオナはスレイドの名前だけ聞くと、満足そうにその場を離れて行った。


 後日スレイドが提出したのは、複数の角度から見たモノクロのレオナの尻尾と、色鉛筆で青々と描かれた芝生の上で眠るレオナの寝顔だった。
スレイドが提出したスケッチで、初めて色づけした絵の出来は評価してもらえたが、課題の内容とはあまりにかけ離れていると判断されて、結果再提出となった。

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