一方、オクタヴィネルのVIPルーム前。
そのドアの前では、アズールの悲鳴を聞きつけて寮生達が、主に自室が近い二、三年生を中心に数人集まっていた。
「さっきの悲鳴、アーシェングロットだよな。どうしたんだ?」
「それが部屋から出て来てくれないんです。声を掛けても大丈夫の一点張りで」
「おーい、アーシェングロット。生きてるかー?」
「寮長、大丈夫ですかー?」
「大丈夫です、皆さん。先程の悲鳴は気にしないでください!」
寮生達が何度も呼び掛けると、部屋の中からアズールの声が聞こえて来た。
慌てているのを無理に取り繕ったような声だったが、本人から「大丈夫だ」と言っているのが聞こえたので、寮生達はひとまずほっとした。
「なんだ元気そうじゃないか、心配して損した」
「俺達も部屋に帰ろうぜ」
「すみません!アズールいますか!?」
アズールの安否を確認して部屋に戻ろうとした寮生達に、違う寮生の声が飛んできた。
帰ろうとした寮生達が振り返ると、二年生の寮生二人が切羽詰まった表情で走って来た。
二人は同じ部屋で生活していて、その内の一人は両手で顔を押さえて俯いていて、もう一人が彼を抱えるようにしていた。
「おい、どうしたんだ?」
「うぅ……顔が……俺の顔が……」
顔を押さえている寮生は、両手で顔を隠したまま呻くように、「顔が」と呟き続けている。
「ええっと、何て言ったらいいか……同室の奴の顔が突然おかしくなったんです!」
「は?顔がおかしい?頭じゃなくて?」
「怪我したとかじゃないのか?」
「アズール!今いるか!?」
「おいどうした……って、お前どうしたんだよその顔!?」
部屋の前で集まっていた二年の同級生達を中心に、二人に尋ねようとしたら、次は三年生が一人大声で走って来た。
彼も尋常でない様子に声を掛けようとしたが、走って来た寮生の顔は、子供の落書きの様な線の少ないのっぺりとした顔に変貌していた。
彼の髪や身体、服装や仕草などはいつも通りだ。
しかし彼の顔だけが、すっかり変わってしまっていたのだ。
「さっきトイレに行って鏡を見たら、顔がこんなになってたんだ!周りに誰もいなかったから犯人が分からなくて」
「あっ!?先輩もこいつと同じになってる!?」
「……同じだって?」
ずっと顔を押さえていた二年の寮生がゆっくり顔を上げると、走って来た三年生と同じ、鉛筆で適当に落書きした顔になっていた。
ポムフィオーレ生程では無いが、それなりに顔立ちが整っている事に自信を持っていて、普段から身だしなみにも気を使っている彼は今涙目になっているらしく、鉛筆で小さくぐるぐる描かれたみたいになっている目をふるふると震わせながら、同じ被害者の先輩を見上げた。
「俺もそうなんです……こいつと部屋で話しながら課題をしてたら、突然顔がこんなになってて……うう、なんでこんな事に……」
「部屋には俺達以外誰もいなかったから、俺達も犯人が分からなかった。だからアズールに話を聞こうとしたんだけど……先輩、アズールはどうしたんですか?」
再び顔を覆ってメソメソしだした同室の同級生の背中を擦りながら、二年生がアズールの様子を尋ねると、近くにいた三年生は難しい顔でVIPルームのドアに目を向けた。
「お前達も聞こえてただろ?さっきの悲鳴を聞いてVIPルームに様子を見に来たんだけど、アズールが部屋から出て来なくてさ。さっき「大丈夫だ」って言ってたから、帰ろうとしてたんだけど……これはちょっと普通じゃないな、アズール!部屋から出て来てくれ!うちの二年生と三年生、計二人、突然顔が落書きみたいにおかしくなってるんだ!」
「……顔がですか?」
部屋の中からアズールの声が聞こえたがそれきりで、部屋の中は再び静かになってしまった。
「くそっ、ダメか出てこない。ってか、こんな時にいつものウツボ達はどうしたんだよ」
「他の奴が探してるけど、見つからないみたいです」
三年生が副寮長のジェイド・リーチと、その双子の兄弟フロイド・リーチの名前を出したが、少し離れた場所で彼らと連絡を取ろうとしていた二年生達が、繋がらないスマホを手に歯がゆそうに首を横に振った。
これだけアズールがいるVIPルームの前で騒いでいるのに、イレギュラーやトラブルが大好物なウツボの双子が来ない。
アズールも部屋から出て来ず何の反応も無くなってしまっている今、いよいよこの異常事態が深刻なものではないかと、VIPルームに集まっている寮生達は感じ始めていた。
「ぎゃあああああっ!!」
「わっ!?……ああ~~~今度はなんだよ!!」
廊下の向こうからの悲鳴に、三年生はこの状況を処理しきれず、髪を掻きむしって苛立った声を上げた。
しばらくすると、薄暗い寮の廊下の向こうから、寮の一年生が一人崩れ切ったフォームで、バタバタと走って来た。
「た、助けてください!」
「おっと、まず落ち着け。何があった?」
「あ……あ……」
走って来た一年生を一番近くにいた上級生が受け止めて事情を聞こうとすると、彼は涙目で口をパクパクと開閉しながら廊下の向こうを指さした。
その指につられるように一同が廊下の向こうに目を向けると、そこにはいつものようにフードを被って俯いているスレイドと、彼を見上げながら微妙な顔をしているバイトが立っていた。
「なんだ、スレイドか」
「ウツボはウツボでも、一年のウツボちゃん来ちゃったか」
「スレイド、バイト、お前達も何かあったのか?」
「いや、オレは大丈夫なんだけどよ……こいつが」
バイトが気まずそうに顎でスレイド示すと、スレイドはゆっくりと顔を上げて、被っていたフードを下ろした。
「「「「「…………!!!!」」」」」
彼の顔を見てその場にいる全員が戦慄した。
スレイドの顔も落書きみたいな状態に変貌していた事には変わりない。
しかし、彼の顔は被害者の二年生達の様なのっぺりしたものではなく、雰囲気が明らかに違っていた。
彼のトレードマークの一つであるサングラスは、そのまま彼の顔に直接描かれているらしく、顔の真ん中にぐりぐりと雑に塗りつぶされた黒い大きな二つの丸になっている。
鼻は無くなっていて、更にいつもギザギザの歯が並ぶ口は、彼がボーっとしている時に、たまにぽっかりと半開きになっているのを表しているのか、サングラスより一回り小さい黒い丸の中に、内側に向かって白い小さな三角がぎっしり並んでいて、さながらヤツメウナギの口の様だ。
そんな顔でここまで一言も話さずにバイトの隣で突っ立っているスレイドの姿は、彼の背後が暗い廊下なだけあって、それが余計に彼を得体の知れないモノに見せてしまっていた。
「スレイド、お前もか?」
「なんでお前だけホラーチックになってるんだ」
「ヒドいよね……俺、こんな顔じゃないのに……」
「ひっ……」
スレイドらしきモノから出たのは、悲しげな、今にも消えてしまいそうに掠れた小さな声だった。
そして宙をぼんやり見上げて、二つの真っ黒な丸から黒い液体をボタボタと垂れ流し始めたので、皆は動揺して一歩後ずさると、それを見たスレイドはユラリと身体を大きく揺らしながら一歩前に踏み出した。
「なんで?……なんでみんナ、逃げようとスルの?」
震える声で涙を流しながら、こちらに向かって手を伸ばすスレイドの姿は、さながら化物になってしまった元人間のキャラクターの様だ。
姿が大きく変わってしまって、かつての仲間に受け入れてもらえずに絶望する。
そんな映画にでもありそうな悲劇を連想してしまい、寮生達の涙を誘った。
「酷い……酷いよォ……うウっ、うぅ……」
「……はあ」
次第に肩を震わせて、自分の手が黒く汚れるのも構わず泣き始めたスレイドに、寮生達が言葉を失っていると、先程からどんどん不機嫌顔になっていたバイトはため息をついて、非情にも泣いている彼の頭を思い切りはたいた。
「「「「「えええええ!?」」」」」
「クッキーカッター!お前何してんの!?」
「お前人の心はないのか!?」
「平気だって、こいつ面白がってるだけだから。ほらスレイド、いい加減嘘泣きやめろ」
泣いているスレイドへのあんまりな仕打ちに、寮生達がバイトを非難する中、彼は何とも思っていない顔でスレイドの肩を掴むと、スレイドは鳴き声をピタリと止めて顔を上げた。
「……やめさせる度に頭はたくのやめない?」
「こうでもしねえと止まらねえだろお前。さすがにやりすぎだ。ちょっと驚かせるどころか、みんなすっかりビビっちまったじゃねえか」
「さすがに涙はやりすぎた?」
「何から何まで全部だよ」
怖い落書きみたいな顔はそのままに、はたかれた頭を摩りながら普通のトーンで話し始めたスレイド相手に、バイトはフンと鼻を鳴らすと、呆れた顔で腕を組んだ。
「……え?」
「ごめん、今のは嘘泣きだった。顔は嘘じゃないけど」
「悪かったな、先輩達。アズール先輩の悲鳴を聞いて様子を見に行こうとしたら、スレイドの顔が突然こんなになっちまっててさ。それでここに来たら先輩達でごった返してるの見たら、こいつが「ちょっとみんなを驚かせてみたい」って言い出して聞かないから付き合ってたんだ」
いつもの調子でネタ晴らしをするスレイド達に、上級生達は脱力して、一部の寮生は床に崩れ落ちた。
「……はぁ~~~……心臓に悪いって」
「こんな時にタチの悪いイタズラしやがって……」
「……なんか俺の方がマシに思えてきた」
悪態をつきはじめた上級生達の中で、のっぺり顔になった被害者の二年生は、そんな顔になってたのが自分じゃなくて良かったと、ホッと胸を撫でおろしていた。
「寮生達数人の顔が突然おかしくなった。……そうですね?」
「わっ、アズール」
VIPルームのドアが控えめな音を立てて開くと、僅かに開いたドアの隙間から、何故か式典服を着てフードを被っているアズールが顔を出した。
「やっと出てきたか。アーシェングロット、大丈夫か?」
「ええ、ご心配をおかけしました。他に被害者がいないか確認しましょう。寮生達を談話室に一旦集めてもらえますか?すぐに来られない寮生は、いつでも連絡を取れるようにと通達しておいてください」
「分かった、俺達がやっておくよ」
アズールの指示を聞いて三年生達は、廊下の向こうへ走り出した。
「ひとまず顔が変わってしまったのはそこの三人ですか?」
「ああ、今の所俺達だけだ」
「一緒に談話室に行きましょう、ついて来て下さい」
アズールの指示で他の寮生達も、ぞろぞろと彼の後ろについて行って、談話室へ向かった。

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