後輩のポケモントレーナーのヒカリが行方不明になった。
シンオウ地方のポケモン博士であるナナカマド博士の助手をしている少年、コウキがその知らせを聞いたのは、随分と前の話だ。
ヒカリはある日フタバタウンの実家に帰った夜、いつもの通り自室でベッドに眠りについた後、忽然と消えてしまったらしい。
書き置きも無く、荷物も手持ちのポケモン達が入ったモンスターボールも残されていたので、彼女の親はすぐさま警察に捜索を依頼した。
警察もすぐに彼女の捜索に当たったが、捜査は難航した。
警察の力を以てしても、彼女がどこにいるのか、目撃情報一つ掴む事ができなかったのだ。
まさに神隠し。
そうとしか思えない程に、ヒカリはどこに行ったのか誰にも分からなかった。
ヒカリの発見を諦められなかったコウキは、フタバタウンのヒカリの実家を訪ねて彼女の母親に頼み、彼女が旅をしていた時に常に持ち歩いていたレポートを借りた。
彼女が記し続けた旅の記録は、彼女を見つける手がかりになると思ったからだ。
その時ヒカリの母親は、レポートと同時に不思議な形をした笛もコウキに差し出した。
ヒカリの自室に置いてあったらしいが、ヒカリがいなくなる前はそんな物は置いていなかったらしい。
もしかしたら何か関係があるかもしれないから、どうか持って行って欲しいと頼まれて、コウキは不思議な形をした笛も預かった。
それからナナカマド博士の研究の手伝いをする合間に、いなくなってしまったヒカリの足取りを掴む為、レポートに書かれた彼女の旅の軌跡をなぞるように、シンオウ地方の至る場所へ足を運んでは、彼女の行方の手がかりになる情報を探し続けた。
しかしいくらコウキがナナカマドの助手で力量のあるトレーナーだとしても、子供の彼にできる事には限りがある。
ポケモンセンターで働いている人や、ポケモンバトルを挑んで来たトレーナーなど、行く先で誰かと出会う度にヒカリの事を尋ねたが、思うように情報を集められない。
根を詰めて日に日に顔色が悪くなっていくコウキを見かねて、ナナカマド博士は彼に長めの休みを言い渡し、「気分転換に見てくるといい」と、ある紙を彼に手渡した。
手渡された紙の正体は、クロガネシティのクロガネ炭鉱博物館、その特別展のチラシだった。
ナナカマド博士の苦言通りに、一度しっかりと休養を取ったコウキは、貰ったチラシを片手にクロガネシティへ向かった。
目新しい物が多く展示されているので、博物館を訪れる人も心なしかいつもより多い気がする。
特別展の内容は大昔のシンオウ地方、『ヒスイ地方』にあった生活用品や資料等が複数発見されたらしく、その中の一部が展示されていた。
その時代に生きた人達の手記や、当時完成されていたポケモン図鑑の一部のレプリカも展示されていて、ケースの前にはそのどれにも詳しい解説がされている。
驚く事にヒスイ地方では、人にとってポケモンは脅威の存在でもあったらしく、ポケモンとの共存の道を歩む途上の時代だったらしい。
その時代でしかいなかったポケモンや、今と違う姿のポケモンも生息していたらしく、その写真や絵も残っていて、歴史的な物や考古学にはあまり詳しくなかったコウキでも、これにはとても心惹かれた。
「…………え?」
その写真の前で足を止めたのは必然だった。
頭がグラリと揺れるような感覚に、思わずその場でたたらを踏む。
瞬きすら惜しい程に目が離せなくて、浅い息を繰り返してしまうせいで、口の中はすっかりカラカラだ。
それだけコウキは、その写真に写っているものに衝撃を受けていた。
そこにあったのは、状態が悪くて半分以上はどんな物が写っているのか明確に分からない写真。
無事に写っている部分には、自然が豊かな開けた場所に柵が立っていて、その中には様々なポケモン達が、のびのびと過ごしている姿が写っている。
しかしコウキが釘付けになったのは、写真の中のポケモン達ではなく、柵の外に立っている一人の少女の姿だった。
その少女は、劣化でほとんど姿は分からなくなっている大型のポケモンの頭を撫でていて、その横顔は柵から身を乗り出しているポケモンに向けて、優しい微笑みを浮かべている。
服装は違っているが、見覚えのあるストレートの黒髪、彼女はコウキがずっと探していたヒカリそのものだった。
「嘘だ……ヒカ「ノぉ、リ!」」
自分の声を遮るように、舌足らずな大きな声とカランカランと何かが転がった音が、展示室に響き渡った。
声と音の方に目を向けると、他の来館者から奇異の目で見つめられる中、少し先の展示物の前で、赤いラインが入った白いケープコートを身に着けた背の高い男性が、目を見開いた状態でロープ上の柵から身を乗り出して、ガラスケースに向かって手を伸ばしていた。
彼の足元にはグリップが付いた黒い杖が転がっている、おそらく先程の大きな音の正体はこれだったのだろう。
彼が手を伸ばしていたガラスの向こうにあった「それ」は、全体が見られるよう展示用の台に乗せられていた。
至る所に穴が開いてなんとか原型を留めている、大の字状に広げられた、ボロボロの大きな黒い服。
きっと元の服は襟の大きな……例えば彼のような、長身の人が身に着けていたコートだったのだろう。
「すみません、ガラスにはお手を触れないようにしてください。それと他のお客様のご迷惑になりますので、館内ではお静かに願います」
「あ……ああ……」
男の声は展示室に大きく響いていたので、その声を聞きつけて巡回していた近くの警備員がやって来た。
警備員は彼の肩を叩いて注意したが、男は警備員の声は何も聞こえていないのか、目を見開いたまま大粒の涙を流し、ガラスの向こうの黒い服のみを見つめている。
話を聞いていない様子の白い男に警備員の表情は険しいものになった。
「すぐにそこから下がってください、出て行ってもらいますよ」
「や……ノぉリ、ノぉリ!」
警備員は彼の肩を掴んで下がらせようとしたが、白い男はまた同じ言葉を叫んで黒い服に向かって手を伸ばし続けている。
その姿はまるで親から引き離される子供のようで、涙を流す男の悲痛な叫びは館内に再び大きく響き渡った。
「ちょ……いい加減、下がってください!」
「あっ……!」
警備員に強い力で後ろに腕を引っ張られた白い男は、咄嗟に踏ん張る事ができず、バランスを崩して床に倒れこんでしまった。
「う……」
警備員は予想以上に簡単に倒れてしまった男を見てサッと青ざめ、すぐに男に謝って大丈夫かと声を掛けたが、彼は固く目を瞑ったまま、眉を寄せて小さく呻くだけで何も答えない。
緩慢な動きでなんとか起き上がろうとしているが、下敷きになっている右腕は指先がビクリ、ビクリと強張るだけで力が入っておらず、左腕だけで起き上がろうとしては、失敗して崩れ落ちてしまう。
警備員がなんとか上体だけ抱き起こしたが、項垂れる彼を立たせるのは難しいらしい。
コウキは床に転がったまま放置されている杖の存在を思い出して、急いで彼らの元へ駆け寄った。
「あのっ!」
「君は?」
「その人、ボクが外に連れて行きます」
「……すみません、ではお願いしてもよろしいですか?」
「はい」
それから二人がかりで男を何とか立たせると、警備員は気まずそうに目を伏せてから、頭を下げて去って行った。
警備員が巡回に戻って姿を消すのを見届けると、項垂れる男の肩を痛くない程度に叩いた。
「……大丈夫ですか?一度ボクと一緒に外に出ましょう」
「…………」
僅かに顔を上げた男は、泣き濡れた右目をぼんやりとコウキに向けて、何も言わずに小さく頷いた。
初めて彼の顔を正面から見て、そこでコウキはようやく彼が左目に黒い眼帯をしている事に気が付いた。

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