「ちょっとあなた、大丈夫ですか?起きられますか?」
自分に呼び掛けている心配そうな女性の声と、肩を叩かれている感覚に、クダリはゆっくりと目を開けた。
視界に見えるのは自分の白い革靴と、朝日を浴びて白く光っている床、そしてここで働いている女性達が履いている靴。
寝起きで首の骨が軋む感覚を覚えながらそろそろと顔を上げると、そこには目を覚ましたクダリを見て、安堵の表情を浮かべたジョーイさんが立っていた。
「ああよかった、目を覚まして。エントランスの準備をしようとしたら、その子を抱いて眠っているあなたがいたから。こんな所で寝ていたら風邪をひきますよ?」
クダリはジョーイさんが指をさした胸元に目を落とすと、抱きしめられた状態で眠っている所をジョーイさんに見られて、少し恥ずかしそうにしているシャンデラが自分を見上げている。
クダリは寝起きで回らない頭を使って、昨夜の事を思い出した。
ポケモンセンターの部屋で眠ってからしばらくしてから、恐ろしい悪夢を見て声にならない悲鳴をあげて飛び起きてしまったクダリは、眠れずに部屋の隅で力なく浮いていたシャンデラを連れて、真夜中のエントランスに向かったのだ。
今日知ってしまったノボリの事で、気持ちが不安定になっていたのは同じだったらしい。
堪えきれず涙を流すシャンデラのガラスの身体を抱きしめて、「大丈夫」「ノボリは生きている」と、自分にも言い聞かせるようにシャンデラを励ました。
そして結局自分も堪えきれなくて散々ふたりで泣いた後、そのままここで仲良く寝落ちしてしまったみたいだ。
夢に出てきたのは、血濡れの状態で地面に打ち捨てられ、薄く開かれた濁った瞳で自分を見つめるノボリの姿。
コウキが見つけてくれた手掛かりは、先の見えない真っ暗な旅路に、ノボリへ続くレールがようやく見えた気がした。
しかし、同時に双子の兄が大怪我をしている可能性があると知って、胸の奥を氷のナイフで刺された気分になった。
コウキがいる手前、できるだけ笑顔を見せて表面上は取り繕っていたが、心の中では空いている時間を調べものなどで常に頭を働かせて、自分の感情をシャットアウトしようとしないと、自分の背後から迫って来る不安という黒い影に、足を囚われてしまいそうで怖かった。
もしあのコートの大穴が、本当にポケモンに襲われてできたものだったとしたら?
もし今もどこかで、ノボリがそれで苦しんでいるとしたら?
もしいま進んでいる線路の先にノボリがいたとしても、もう手遅れだったとしたら?
考えれば考える程、頭の中で次々と浮かぶ「もしも」の光景がどんどん悪い方へ向かっていって、息が苦しくなっていく。
その末に昨夜見てしまったのが、あの恐ろしい悪夢だった。
昨夜の事を思い返してボーッとしている無表情のクダリの様子を見て、どこか体調が悪いのかと思ったジョーイさんが、よければ体調を診ようかと申し出たが、クダリは作り物の笑顔と身振りでそれをやんわりと断り、隣に立てかけていた杖をついて、コウキがまだ眠っている筈の部屋へ戻った。
実はクダリは、真夜中にコウキが心配して様子を見に来て、そのまま何も言わずにその場を去っていった事に気がついていた。
気分が落ち込んでいる時、少しでも気を抜くと無表情になってしまう自分を気にかけて、探しに来てくれたのだろう。
サブウェイマスターだった時はそれなりにポーカーフェイスもできたが、どうもケガをしてから気持ちがずっと不安定で、取り繕うのが下手になってしまった。
その弊害か、あの時のクダリは泣いていながらも、不安定な気持ちから酷く気が立っていて、コウキ相手に大人として対応できる状態ではなかった。
きっとあの時コウキに声を掛けられたら、それがどんなに自分を励ます為の言葉だったとしても、「何も知らない癖に余計なお世話だ」と彼の手を跳ねのけて、心無い対応をしてしまっていただろう。
だからあの時、何も言わないでそっとしておいてくれたコウキの優しさは、とてもありがたかった。
自分にとっては少し遠い廊下を歩いて、自分が泊まっていた部屋のドアを開けると、コウキはベッドに腰かけて、手持ちのエーフィを膝に乗せて体調のチェックをしていた。
「……あ。おはようございます、クダリさん!」
ドアの音に気づいたコウキは、まるで真夜中の事を何も知らなかったかのように、部屋に帰って来たクダリに向けて笑いかけた。
「…………おぁ、よう。コー、キ」
何も聞かずに知らないふりをして、ただ明るい笑顔で「おはよう」と言ってくれる心優しい少年に、クダリはほんの少し救われた気がして、できるだけ優しい笑顔で笑い返した。

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