「るつぼ」
「なぁに?今日はウツボのそっくり言葉?」
「ドツボ」
「ドツボ?あ。この前アズールが飛行術の練習でドツボにハマって、落ち込んで蛸壺に引きこもってたんだよね」
「茶壷」
「それ聞いた事ねえけど、壺で紅茶飲むの?ラッコちゃんあたりならやってそうだけど」
「うぎぎぎ……」
「くっ、フロイドも中々しぶといな。……調べられる言葉は全て調べ上げたのに、そろそろストックが切れそうだ」
作戦決行から一週間、放課後の人気の無い図書室の片隅の本棚で、リドルは斜線が増えたメモを見て難しい顔をしていた。
メモに書いておいた言葉をなるべく使わないように、普段以上にフロイドと会わないように注意していたが、どういう訳かここ最近彼との遭遇率が高く、「フロイド」のそっくり言葉は予想より早いペースで使われていった。
今では「フロイド」に似た言葉はネタが尽きてしまったので、リドルは意地になって「ウツボ」に似た言葉で何とか粘っていたが、それにも限界が近づいていた。
「あれ、金魚ちゃんだあ。何してんの?」
「げっ」
メモをポケットに入れて本棚の間から出ようとすると、よりによって今一番会いたくない人物がリドルの正面に立っていた。
「この時間帯、ここの本棚にはあまり人は来ないのに、なんでよりによってキミが来るんだ」
「え~?なんかそんな気分だったから。なんか難しい顔してんね、あんまり眉間にシワばっか作ってると、そのうち海溝みたいになっちゃうよ~?」
「突っつくな!まつぼ……っくり」
「もうウツボそっくりですらなくね?」
リドルは自分の眉間をツンツンと突っつくフロイドの指を払いのけて怒鳴ろうとしたが、ここが図書室なのと最後の「ウツボ」のそっくり言葉も使い切ってしまった事で、尻すぼみになってしまった。
「金魚ちゃ~ん、もしかしてそろそろネタ切れ?」
「くっ……!」
ニヤニヤと歯を見せて笑うフロイドに、リドルは奥歯をかみしめたが、一度落ち着くために小さく息を吐いて彼に向き直った。
「……キミこそ、ボクの事を名前で呼ぶ気にはなったかい?」
「え~?金魚ちゃんは金魚ちゃんでいいじゃん、そこまで名前呼びにこだわる必要なくね?オレへの呼び方がコロコロ変わるのは結構楽しかったから、金魚ちゃんの別の呼び方考えてもいいけど?」
ここ一週間の自分の苦労を物ともせず、フロイドに余裕のある笑みで見下ろされて腹が立つし、ここまでくると意地でも名前を呼ばせたくなる。
……いっその事彼を煽ってみれば上手くいくだろうか。
もし逆上して襲い掛かって来ても簡単にやられる自分ではない、試してみる価値はあるだろう。
リドルはフロイドを挑発して名前を呼ばせる作戦に変更した。
「……まさかと思うけど、ボクの名前を忘れているからそんなあだ名で呼んでいるのかい?」
「は?ちゃんと覚えてるし」
「どうだろうね、口だけなら何とでも言えるさ。本当はボクの名前を覚えていないんじゃないかい?」
ムッとした顔でワントーン低くなったフロイドの声に一瞬気圧されそうになったが、リドルは動揺を見せずに彼を更に煽る為に腕を組んで、先程フロイドが見せた余裕のある笑みを真似てみせた。
「金魚ちゃん。……オレの事バカにしてんの?」
「ならば証明してもらおう、ちゃんと正しくボクの名前を呼んでくれないか」
右肩に手を当てながら瞳孔を開いて睨んでくるフロイドに、リドルは毅然とした態度を貫いて彼を正面から見据えると、とうとう根負けしたのかフロイドは長い溜息を吐いて、ガシガシと自分の頭を掻いた。
「分かったってば。はあ~……リドル」
いつもより少しだけ低い声で呼ばれた名前に、リドルは目を丸くして息を飲んだ。
「リドル・ローズハート。ほら、ちゃんと覚えてるでしょ?」
「……」
真顔で自分の名前を呼ぶフロイドはまるで別人の様で、射抜かれそうな光を帯びたオッドアイに胸が大きく跳ねる。
リドルはフロイドの目を見つめてたまま固まってしまった。
「ねえ、ちゃんと言ったけどなんかないの?」
「キミがちゃんとボクの名前を呼ぶと何だか変な感じがするね」
不機嫌そうに眉を歪めるフロイド相手に、リドルは「なんだ、ちゃんと呼べるじゃないか」や、「よろしい」などと言おうとしたが、気が付いたら全く違う言葉を発していた。
「え~……ここまで煽って言わせといて、そんな事言う訳?」
「ああ、いや。悪い意味じゃない……うん、キミに名前を呼ばれるのは悪い気分じゃない、よ」
フロイドがムスリと口を尖らせると、リドルはようやく我に返って、ややつっかえた口調で言葉を返した。
それから二人共言葉を発する事無く、しばらくの間互いに見つめ合ったまま気まずい空気が流れていたが、リドルはここで目を逸らしたら負けると思い、何も話さないフロイドから決して目を逸らさなかった。
「……へぇ~?金魚ちゃん、そんな顔もできるんだ」
「え?」
数十秒にも数分にも感じられた沈黙の後、リドルの顔をずっと見下ろしていたフロイドの目が不意に三日月型に細められた。
「おもしれ~顔してる。ふふっ、その顔見れんなら名前呼ぶのもありかもね」
「は?……わっ!?」
「じゃあねぇ」
フロイドはリドルの髪をグシャグシャに撫でると、そのまま軽い足取りで去っていった。
「……面白い顔って、一体なんなんだ」
この前よりほんの少しだけ優しい手つきで撫でられた頭を押さえながら、リドルは図書室から出て行くフロイドの背中を眺めた。

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