「うっ……げほっ、ごほっ」
細い窓枠から太陽が顔を出した朝、安さだけが取り柄のボロアパートのとある一室。
その住人の男フェロー・オネストは、ベッドの上で口元を押さえて咳を繰り返していた。
先日から僅かに喉に違和感があったが、大したことはないだろうと放置していたのが仇となったのだ。
体温計なんてそんな大層な物は持っていないので、額に手を当ててみるといつもより高い温度が伝わってくる。
「あ、あ゛~……心なしか声も変だな……」
声を出してみると、心なしかガラガラしている。
少し声を出しただけでも喉の奥が痛いし、咳がこみ上げてきそうなので、これ以上喋るのはよくないだろう。
今まで散々泥水をすすってきたので、多少の体調不良くらいなら無理はきくが、交渉術や話術を武器としているフェローにとっては、声が使い物にならないのは致命的だ。
無理をして動くより、今日一日休息に専念して明日に備えた方がいいだろう。
「……、……?」
くいくいと服の裾を引っ張られている感覚に振り向くと、一緒に寝ていたフェローの相棒のギデルが、不安げな顔で自分を見上げていた。
無口な代わりに、彼は瞳や表情、態度で雄弁に自分の感情を語ってくれる。
険しい顔で自分の喉に手を当てているフェローが心配になったのだ。
「ああ、起こしちまったか。悪いなギデル」
ギデルはフルフルと首を振って、フェローの服を再度引っ張りながら、ベッドをポンポンと叩いた。
「そうだな、今日は大人しく寝ておくか。ギデル、今日は俺に近づいちゃダメだからな」
「……。……!」
「ダメだ。前に風邪をひいて大変な事になっただろ、っ、ごほっ、ごほっ!」
「!」
近づくなと言われて嫌がるギデルを説得しようとしたフェローだったが、途中で乾いた空気を吸い込んでしまった。
口を押さえて激しい咳を繰り返す彼を見て、ギデルはワタワタと慌てながら、不規則に跳ねる背中を摩った。
「っ、ふー……そんな顔するな、大丈夫だから。俺は寝るから、家で大人しくしてろよ。誰か来ても絶対に家のドアは開けちゃダメだからな」
「…………」
慎重に呼吸を繰り返して咳を落ち着かせたフェローは、心配そうに眉毛をハの字にするギデルの頭をクシャリと撫でてやると、彼はブランケットを被って目を閉じた。
「……ごほっ、げほげほっ!」
「!」
それからしばらくフェローの言いつけ通りに、ベッドに近寄らずに大人しくしていたギデルだったが、何も手が付かず、しきりに聞こえてくるフェローの咳の音を聞いていた。
しかし時間が経つほどどんどん酷くなっていく激しい咳に、ギデルは居ても立っても居られなくて、抜き足差し足でそっとベッドに近寄った。
「うぅ……ごほっ、ごほっ!」
薄いブランケットを被って、長身を折りたたんで眠るフェローの顔は、ギデルが見た事ない程に真っ赤になっていた。
眉間に皺を寄せてきつく目をつぶり、咳の合間にゼイゼイと荒い息を溢す。
その表情はとても苦しそうで、見ているギデルも胸が痛くなってくる。
「…………」
ギデルは目を閉じて、この前自分が風邪をひいた時の事を必死に思い出した。
あの時は熱が高くてぐったりしていたので、ぼんやりとしか覚えていない。
額に冷たく濡らしたタオルを乗せてくれて、林檎を食べやすい大きさにカットして食べさせてくれたのを覚えている。
そしてなによりフェローがずっと枕元で、つきっきりで看病してくれたのだ。
「……!」
今度は自分がフェローにしてやる番だと決意したギデルは、パンパンと自分の頬を叩いて気合いを入れると、彼の看病をするべく彼のベッドからそっと離れた。

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