「うーん……形は上手く描けたと思うけど、なんか物足りないなあ……」
スレイドが次にスケッチしていたのは、建物の屋根の上に乗っている名前も知らない怪物の彫刻。
先日スレイドがこの時間帯に散歩をしていた時に、たまたまこの彫刻を見つけて、自分の故郷で拾った本に載っていた悪魔の絵にも似ている見た目に惹かれて、今度時間が合えばスケッチしようと意気込んで描き進めていたのだ。
日没直後の青みがかった闇色に包まれた彫刻は、迫力のある彫刻の顔を更に凄みを増して見せている。
その迫力を絵で表現してみたいと描いてみたのだが、ほとんど完成した絵を眺めて、スレイドは何か物足りなさを感じて顔をしかめた。
日没直後から更に暗くなって、彫刻の細部までは見えなくなってきたので、続きは後日に描こうかと、スレイドはずっと同じ場所に突っ立って固まった足首をぐりぐり回して、踵を返そうとした。
「ほう、なかなか良く描けている」
「…………え?」
突然の低い声にスレイドが振り向くと、大きな二本の黒い角と、ライムグリーンの瞳を持った長身のディアソムニア生が、スレイドの描いた絵を面白そうに覗き込んでいた。
誰が来てもいいように周囲にも注意を向けていたが、気配も無く、その上前触れも無くいきなり背後に立たれて、スレイドは口を開けて唖然としていた。
自分の本能が「早くこいつから逃げろ」と告げていたが、それ以上に彼がどうやって自分の背後を取ったのか、その興味の方が大きかった。
「あんたどこから出てきたの?……いや、転移魔法でも使った?」
「これくらいの転移魔法、僕には造作もない事だ」
「やっぱり転移魔法か……あんた、すごいね」
スレイドのユニーク魔法は、対象と自分の位置を瞬時に入れ替える事ができる魔法で、魔法の系統としては転移魔法が近い。
しかし逆に言えばスレイドと入れ替わる「何か」が無ければ、魔法を発動できないとも言える。
対して角の男は何かと入れ替わる訳でもなく、儀式めいた魔法陣が現れる訳でもなく、何も無い場所に瞬時に現れた。
角の男がやってのけたのは、完全にスレイドの上位互換の魔法だったのだ。
スレイドは動揺を隠す為に無表情を貫き、余計な言葉は言わないように生唾を飲み込んで誤魔化した。
「お前もガーゴイルに興味があるのか?」
「んー……どうなんだろ」
角の男にやや期待を込めた眼差しで尋ねられたが、「うん」と言うにはしっくりこなくて、スレイドは首を捻った。
「前見た時になんかカッコ良かったから、暗くなってきた時間に描いてみたいって思っただけ。……ガーゴイル、ってなに?」
「雨どいの機能を持たせた彫刻の事だ。怪物や悪魔、動物と種類は様々で、この学園にもいくつかのガーゴイルがある。例えば東校舎の入口、あそこの門の上にもあるだろう?」
「東校舎の門の上……あのカラスの事?」
スレイドは男が言っていた場所を思い返すと、彼は「ああ」と満足そうに頷いた。
「あれはかなり珍しい。茨の谷にも動物のガーゴイルは多くあったが、カラスのガーゴイルはここでしか見た事が無い」
「ふうん、あれってそんなに珍しかったんだ」
「ああ。あのガーゴイルをスケッチをするなら、カラスの足側の方から座った状態で描いてみると良い。あの角度から見るのが一番あのガーゴイルの良さが分かる」
「そうなんだ。……次あの門に行った時見てみるよ」
男の言葉の端々に感じる熱に気圧されながらも、ただの背景としか思っていたカラスの彫刻が、彼の話を聞いたおかげで興味深い観察対象に変わり、スレイドは小さく頷いた。
それから二人の間に長い沈黙が続いたが、その時間に耐えかねたのか、角の男は再びスレイドのスケッチブックに目を落とした。
「僕が褒める程によく描けているというのに、その絵を描いたお前は不服そうだな」
「ああ……うん。形は上手く描けたんだけど、なんか物足りなくて。あんたガーゴイルについて詳しそうだけど、この絵の変な所とか分かる?」
「ふむ。よく見せてくれ」
スレイドがややしょんぼりとした顔を見せてアドバイスを求めると、角の男がスケッチブックを見せるようにと手を差し出したので、スレイドは素直に自分のスケッチブックを手渡した。
スケッチブックを受け取った男は、口元に手を当てながら、静かな面持ちでガーゴイルの絵を細部まで観察した。
互いに何も言わないで数分間経った後、たっぷり時間をかけてスレイドの絵を見た男は、ガーゴイルの絵の中で影のある部分を指さした。
「この影の部分に少しだけ暗い緑も入れてみるといい、色合いに深みが出る」
「緑?緑か……分かった、やってみる」
「それとこのガーゴイルは所々に苔が生えているから、もう少し明るい時間にもう一度このガーゴイルの細部を観察するべきだ。それも一緒に描き込めば、より本物に近づいた絵が描けるだろう」
「ああ……この時間帯のガーゴイルを描いてみたかったけど、確かに細部を見るにはちょっと暗すぎたかな。……うん、今度もう少し明るい時間に続きを描きに来るよ。教えてくれてありがとう」
有識者に適切なアドバイスを貰えたので、スレイドは笑顔で礼を言ったが、何かを思い出したように「あ」と声を漏らした。
「そういえば、あんた誰?」
スレイドが角の男に何者か尋ねると、彼は驚いたように目を見開いた。
「……とうに知っていると思っていたが、僕の事を知らないのか?」
「ガーゴイルに詳しいひと、って事しかわからない。それに初めて会って、ジコショウカイもしても、されてもないのにあんたの事を知ってる方が変だと思うけど」
「……ふふ……ふふふ……ああ確かにそうだな、お前の言う通りだ」
スレイドが当然とばかりに答えると、男は口元に手を当てて笑い出し、何度も小さく頷いた。
「僕の名前は……いや、止めておこう。知ってしまえば、肌に霜が降りる心地がするだろうからな」
「……そっか。知られたくないなら聞かないでおくよ」
「呼び方に困るのならば、好きな名前で呼ぶといい。そのガーゴイルの絵の出来に免じて、特別に許そう」
「うーん……いいや。適当に呼んだ名前が、あんたの本当の名前と同じだったら大変かもしれないし、呼ばないでおく。……俺の名前も、今は言わないでおく」
角の男はスレイドの返答が面白かったのか、「なるほど」と小さく声を漏らして目を細めた。
「名は時として強力な呪いに使われる事がある。名を明かさない相手に、気安く名を明かさないのは悪くない判断だ。……僕の名前はいずれ知る事になるだろう。その絵が出来た時に、また名前を聞かせてくれ」
余裕のある笑みを浮かべた男はそう言い残すと、緑の光を放った瞬間、その場から跡形もなく消えてしまった。
「……いなくなっちゃった。ヤバいかんじがしたから、名前を知っても知られても駄目なタイプの奴だと思ってたけど……ゴーストの気配じゃなかったし……あのひと「何」だったんだろう?」
空を見上げると日没直後の青色は、すっかり闇色に染まっていたので、スレイドは今度こそ寮へと戻る事にした。

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