翌日の放課後。
角の男のアドバイス通りにもう少し明るい時間にガーゴイルを見に来たスレイドは、改めてガーゴイルを細部まで観察した後、途中まで描いていた二枚の絵を近くにあるベンチに座って仕上げていた。
先にガーゴイルの絵を、昨日描いた分から更に細かい部分まで描き加えた状態で完成させて、今はシルバーの絵の仕上げをしている。
木漏れ日と動物の毛並み、そしてシルバーの髪の表現にかなり苦戦したが、うんうんと何度も頭を悩ませながら色を乗せていくと、それなりに見れる出来栄えとなっていった。
「ふう……なんとか納得できるのが出来そうかな?」
「おお!シルバーの絵か。中々よく描けておるの」
「!」
もう少しで絵が完成する所で、スレイドが一息ついて休んでいると、ベンチの背もたれからいきなり誰かが身を乗り出して来て、描きかけの絵を覗き込んできた。
昨日の角の男と同じく全く気配がしなかったので、スレイドは無言で思い切りのけ反って、いつでも逃げられるように身構えた。
「おお、すまんすまん。驚かせてしまったな、怪しい者ではないぞ?」
スレイドの背後から現れたのは、黒にマゼンタのインナーカラーが入った髪と、ラズベリーレッドの瞳を持った少年、もしくは少女と見紛う程に小柄で可愛らしい容姿の男だった。
ディアソムニアの制服に身を包み、彼の体格に対してやや大きなジャケットを肩から掛けている。
見た目の割には声は低く、やや古風な話し方は、どこか自分を育ててくれたあの人魚を思い出させる。
男は軽い調子で謝りながらベンチを回り込み、驚いて固まっているスレイドの隣に座った。
「わしはリリアじゃ、リリア・ヴァンルージュ。見覚えのある顔の絵を見て、思わず声を掛けてしもうた」
「……俺スレイド」
屈託のない笑顔で自分から名乗ったので、スレイドも内心戸惑いながらも名乗る事にした。
「あんた、この絵の人知ってるの?」
「ああ、よーく知っておる。この学園の誰よりも知っている自信があるぞ。あやつはまたどこかで寝こけておったようじゃな」
「うん。昨日中庭でこんな風に動物に囲まれて寝てたよ。俺が近くでスケッチしててもずーっと寝てた。あまりに起きないから夕方に起こしちゃったけど」
「くふふ、寝る子は育つからの。たくさん寝るのは良い事じゃ」
「そういうもんなんだ」
スレイドは昨日のシルバーの様子を伝えたが、男は呆れるどころか、むしろ楽し気に笑うだけだった。
「おぬし、この絵が完成したらわしに譲ってくれんか?」
「え?」
リリアからのお願いに、スレイドはまた驚いて目を丸くした。
幼馴染のバイトや友人のスワローなどに、自分のスケッチを見せて褒められた事はあったが、「譲ってくれ」と言われた事は一度も無かったからだ。
「……これ、ただのスケッチだけど」
「その絵に一目惚れしてしもうた。おぬしがもし良ければの話じゃが」
「うーん……いいよ。もうすぐで終わるからちょっと待ってくれる?」
「ああ、いくらでも待とう。隣で見ても構わんか?」
「うん」
スレイドがスケッチブックに目を戻して鉛筆を持ち直すと、作業に集中する為に一瞬でスイッチを切り替えた。
リリアはベンチに深く座り直して、スレイドの邪魔をしないように無言で彼の手元を眺めた。
「はい、できたよ」
「おお!色鉛筆だけで描いたとは思えん出来じゃな!」
十数分後、スレイドが何度も見直してようやく出来上がった絵を手渡すと、リリアはやや興奮した面持ちで受け取った絵を頭上に掲げて、次は紙が折れないように加減しながら嬉しそうに胸に抱いた。
スレイドはリリアが何故自分が描いたシルバーの絵を欲しがったのか疑問に思っていたが、彼の嬉しそうな顔を見たら悪い気はしなくて、照れ隠しからフードを深く被り直した。
「ふふ。ちょっと大袈裟な気もするけど、最近描いた絵の中じゃ上手くできたと思う」
「礼を言うぞスレイド、部屋に大切に飾らせてもらおう。……そうじゃ!お礼にこの飴をやろう。手を出してみよ」
そう言ってリリアが制服のポケットから小さな袋を取り出して、スレイドの手元付近に袋の口を向けた。
言われるままにスレイドが袋の口の下に手を出すと、リリアが二、三回袋を振るい、中から渦を巻いたどす黒い、おおよそ飴とは思えない物体が二つ出てきた。
スレイドは陸に上がってから飴は数回しか食べた事がなかったが、今手のひらに転がっている飴は、これまで食べた飴とは見た目がかなりかけ離れている。
スレイドは僅かに鼻にシワを寄せて、手の中の黒い物体をしげしげと見つめた。
「……これ、なに?ほんとに食べ物?」
「リコリス飴じゃ。一度食べると癖になる味じゃぞ?」
「ふーん……ゔっ……」
スレイドは適当に相槌を打ちながら、リコリス飴を一つ口の中に放り込むと、口の中に広がった得も言われぬ味に、思わず口元を押さえた。
「すごい味……」
「そこがいいじゃろ?気に入ったか?」
「癖が強すぎて、忘れられない味にはなりそう……」
「くふふ、そうかそうか。いつでも分けてやるから、遠慮せずに言うんじゃぞ?」
お礼としての善意から渡された物をストレートに「不味い!」と言うのはさすがに憚られるので、スレイドはできるだけ遠回しに言ったつもりだったが、リリアの中では「印象に残る程に美味しかった」と解釈されてしまったらしい。
彼は嬉しそうに笑って、スレイドが描いた絵を持ち帰って行った。
その場に取り残されたスレイドは、しばらく遠ざかっていくリリアの背中を見つめていたが、それが見えなくなると手のひらにまだ乗っている一つのリコリス飴を見下ろした。
「……バイトにあげよう」
獲物に中々ありつけない事も多い深海育ちのスレイドにとっては、食べ物を捨てるのは非常にもったいない行為だ。
しかしあの味を体験した後でもう一度挑戦してみようとは思えなかったので、スレイドは何も知らない幼馴染を犠牲にする事にして、リコリス飴を制服のポケットの中に突っ込んだ。

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