三行半を突きつけるまたとない好機 【後編二】

ポケモン(サブマスメイン)三行半を突きつけるまたとない好機小説

 ギンガ団本部でクダリが医療隊の手当を受けている間、コウキは部屋の外の壁に立って、ヒカリに今までの彼女の経緯を聞いた。
ヒカリの口から語られたのは、アルセウスの言う『試練』の一言で片付けられない、心細い思いを抱えた一歩から始まる、スケールの大きな冒険譚だった。
かいつまんで淡々と話しているヒカリの横顔は終始穏やかで、話している声のトーンも楽し気なものだったが、隠すように握られた拳や、ふと影が差す目元は、彼女が複雑な思いを抱えているようにも見えた。

「そっか……ヒカリもここに来た時に記憶をなくしてたんだね。だから最初ボクがヒカリって呼んだら、戸惑ってたんだ」
「うん。元の世界の事はぼんやりとしか覚えてなくて、名前も思い出せなかったから、ショウって名前でギンガ団に所属していろんな調査をしていたの」
「えっ、ギンガ団!?……って、あのギンガ団?」

聞き覚えのある組織の名前に、コウキは目を丸くした。

「うーん……今思えばここのギンガ団と、シンオウ地方のギンガ団は随分と違うみたい。ここでのギンガ団はいろんな地方からここに来た人達が作った組織で、あたしが所属している調査隊は、主にポケモンの生態調査をしていて、入団してから作っていたポケモン図鑑がこの前やっと完成したんだよ」
「やっぱりあのポケモン図鑑を作ってたの、ヒカリだったんだね」
「え?コウキくんどうして知ってるの?」

驚く様子のないコウキを見て、ヒカリは首を傾げた。

「シロナさんが教えてくれたんだ。ヒスイ地方で作られたポケモン図鑑は、ヒカリが作ったんじゃないかって」
「シロナさんが?……そうなんだ……あたしが作ったポケモン図鑑……元の世界の時代まで残ってるんだね」

 ヒスイ地方からシンオウ地方へ。
自分がこの土地を駆けまわって作り上げてきたものが、コウキやシロナの元へ届いた事。
そして長い時の中、それを次の時代へと伝え残そうとしてくれた人達がいた事に、温かい感情がこみ上げてくる気がして、ヒカリは自分の胸に手を当てて微笑んだ。

「うん。…………それで、ヒカリ。……今でも『帰りたい』って、思ってる?」
「……え?」

長い沈黙の後、一石を投じる問いかけに、ヒカリは小さく声を漏らして目を見開いた。

「ずっと探してたんだ、ヒカリの事。あの図鑑に書いてあった『帰りたい』って文字も、ヒカリが書いたんだよね」

コウキからの更なる問いかけに、ヒカリは肯定も否定もせず、胸元で両手を握り込んで俯いた。

「ねえヒカリ、一緒にシンオウ地方に帰ろう」

 コウキはそっと彼女の片手を取って、静かな声で自分の思いを真っすぐに伝えた。
その言葉を聞いたヒカリは、コウキの手を握り返す事も無く、何も言わずに俯いている。
どれだけ時間が経とうとも、それがどんな言葉で、コウキが一番望んでいる言葉じゃなかったとしても、きっと受け止めてみせる。
そう覚悟を決めて、コウキは俯くヒカリを見つめたまま、彼女からの返事の言葉を辛抱強く待った。

「あたし……帰れるの?」

 コウキの耳にようやく届いたのは、とても小さな声だった。
ゆっくり顔を上げたヒカリは、泣いていた。
眉はハの字を描き、大きな瞳は潤んで、縁から零れた大粒の涙は顎を伝ってポタポタと落ちていく。
初めて見るヒカリの泣き顔にコウキは少し驚いてから、小さく頷いて微笑んでみせた。

「うん。アルセウスが一度だけ帰る為の道を作ってくれるって」
「だって……もうあたし、帰れないって、思って……」

『すべてのポケモンとであえ』

この世界に落ちた時に、アルセウスにそう言われた。
ポケモン図鑑を完成させる事が、この世界でのヒカリの目標だった。
そうすれば、帰る為の手掛かりがみつかると思った。
そう自分に言い聞かせて来た。

全てのポケモンと出会った。
ポケモン図鑑を完成させた。
アルセウスと対峙した。

……しかし、それでも帰る方法はみつからなかった。

ヒカリは帰りたかった。
元の世界の記憶が朧気だとしても、帰りたかった。
水彩絵の具で滲んだ絵の様にしか思い出せない元の世界の光景を瞼に浮かべて、誰もいない夜の宿舎で一人、涙を零した日もあった。

もう不可能なのだと、ここで生きていかないといけないのだと、無理矢理納得しようとしていた。

それなのに、コウキがヒカリを探しに来てくれた。
ポケモン図鑑に無意識に書いてしまって、すぐ我に返ってぐちゃぐちゃに消して無かった事にした『帰りたい』の文字をみつけてくれた。
ヒカリが諦めようとしていた望みを拾い上げて、迎えに来てくれた。

本当に、そんな都合のいい事があっていいのだろうか?
信じられない気持ちと、信じたい気持ち。
そんな二つの心が綯い交ぜになって、溢れてくる涙が止まらなかった。

「本当に……帰れるの?」
「大丈夫。ヒカリが望んでくれたら、みんなで一緒に帰れるよ」

 ヒカリが手のひらで涙を拭ってもう一度尋ねると、コウキはもう一度頷いて、背負っていたリュックサックを下ろして、しゃがみ込んで中を開いた。
コウキはリュックからとても大事な物を扱うように一冊の本を取り出すと、立ち上がってヒカリに差し出した。
それは、ヒカリがシンオウ地方で旅をしていた時に使っていたレポートだった。
 
「一緒にシンオウに帰って、また旅をしよう。ヒカリ」
「うん……うん!」

ヒカリは服の袖で涙を拭いながら、コウキからレポートを受け取って強く頷いた。

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