ヒスイ関連 没作品集

サブマス一話完結小説ポケモン(サブマスメイン)

証明する漆黒混じりの炎
帰ってきたノボリと再会して、心身共にガタガタに調子を崩して、悪夢に苦しむクダリの話。
クダリの世界ではノボリがいなくなってから10年経っている設定。
Pixivで以前投稿した「書きかけ小説冒頭部まとめ」で「反動ダメージ」として出していた一つ目の話です。
大まかなストーリーはできましたが、ここで手が止まってしまいました。
この話自体は好きなので、またこの話に対する熱が戻ったら、書くのを再開するかもしれませんが、現時点では難しいと思っています。

注意要素
クダリが精神的に弱っています。
過労による気絶、悪夢、過呼吸等の描写があります。

ノボリが記憶を失った状態でヒスイの土地に降り立ったのがひょんな事だとしたら、どうやら元の世界へ帰るのも突然の事だった。

「……ここは?」
 
 ヒスイの地でいつもと同じ日常を送り、訓練所で挑戦者を待っていたノボリは、瞬きの間に薄暗い場所に立っていた。
石畳とは違う固くて平たい地面、等間隔に四角柱の柱が立つ長い空間、少しだけ歩いてみると、無人の空間に革靴の足音がカツンカツンと長く反響する。
知らない場所の筈なのに不思議と恐怖や心細さは無く、むしろどこか懐かしくすら感じていた。

「どこかで見た事があるような……」

 天井から下がっている板の画面は真っ暗で、何の文字も映っていない。
普段は多くの人で賑わっているこの場所は今は誰もいない、おそらく今外は深夜なのだろう。
そこでふと一つの疑問が浮かんで、ノボリははた、と足を止めた。
外が見える窓が一つも無ければ、外から風が入って来ている訳でも無い。
……それなのに、何故自分は今深夜だと思ったのか。
 
 ツキリ、と頭に走る痛みに米神を押さえると、ふとノボリの頭の中に、ある光景が浮かんだ。
多くの人が行き交うこの場所で、まだコートがボロボロになっていない若い頃のノボリが歩いている。
若いノボリはこの空間の端にある白い線の内側で立ち止まると、何かを待つようにそこから動かなくなった。
硬質な物でできた巨大な箱が連なった物が入って来た所で、その光景はノボリの頭から消えてしまった。
 
「わたくしは……ここを知っている?」
 
 先程から感じている強烈な既視感と、知らない筈の事を知っている自分に混乱しながら、ふらふらと歩みを進めると、壁に掛かっている大きな看板が目に入った。
その看板には大小様々な文字が書かれている。
ヒスイの地で使われていた文字とは異なる文字で書かれているので読めない、読めない筈なのだ。
なのに、ノボリにはそれが何と書かれているか理解できた。
 
「ギア、ステーション……」

看板に近づいて文字列を指でなぞり、看板の中央にある一番大きい文字を読み上げた。
 
「……あ、ぐぅ……ううっ!」

 突然殴られた様な頭痛に襲われ、ノボリはたまらず頭を抱えてその場に蹲った。
爆発した様に頭に流れ込んでくる膨大な量の光景に、朧げにしか思い出せなかった空白の記憶がみるみる鮮明になっていく。
バラバラに散らばっていたパズルのピースがどんどん嵌っていく感覚と同時に、ここがどこなのかようやく思い出したノボリは、知らず知らずのうちに滂沱の涙を流していた。

「……ギア……ステーション……そうです、ここはギアステーション。……バトルサブウェイ、シングルトレインの乗り場のホーム!……わたくしはサブウェイマスターのノボリです!シャンデラ……クダリ……同じ顔のわたくしの弟……ああ、どうして……何故こんなにも長く忘れていたのでしょう!」

長く胸の奥でぽっかりと空いていた穴がようやく埋まり、それは強い痛みとしてノボリに存在を主張してくる。
その痛みがどうしようもなく温かくて、それでいてとても苦しくて、思わず胸を押さえた。
 
「クダリ……クダリはどこに?」
「……ノボリ?」

 囁くようなか細い声に振り返ると、遠く離れた薄暗いホームの真ん中にぼんやりと浮かぶ白いコート。
制帽の下の目だけ光らせて呆然と立ち尽くしているのは、ノボリの記憶より少し年を重ねた様相のクダリだった。
いつも笑顔の形で上がっていた口角は、今は驚愕によってノボリとお揃いに下がってしまっている。
  
「クダリ……ですか?」

ノボリが涙を拭いながら立ち上がって問いかけても、彼は何も応えない。
何も話さないクダリに一歩一歩、ノボリは彼に向かって歩き始めた。
  
「……ほんとうに、ノボリ?」
「ええ」
「……ほんとうに?」
「ええ」
「……いきてる?」
「はい」

 弱々しい声で問いかけるクダリに応えながら、ノボリはいつでも触れられる距離で彼の真正面に立った。
両手を胸元できつく押さえ込んで肩で息をするクダリは、口元を小さく震わせながらも何も言わず、少し背中が曲がったノボリを見下ろすだけだ。
薄暗い空間で気づくのが遅れたが、よく見るとクダリは冷や汗を掻きながら顔を真っ青にしていた。

「……クダリ?」
「ーーぁ……」

クダリの異変に気付いたノボリが声を掛けた瞬間、それがトドメになったかのように突然クダリの身体から力が抜け、ガクンと膝から崩れ落ちた。
 
「クダリ!!」

 ノボリが反射で倒れかかった身体を正面から抱き込んだので、間一髪でクダリの頭を床にぶつける事だけは避けられたが、彼はぐったりと意識を飛ばしていた。
力の抜けきった身体を支える為に背中に回した腕の力を込めると、厚いコートの布地越しに伝わる固い感触にゾッとした。
首から腰に掛けてのゴツゴツした感触、それは一直線に彼の身体を支える重要な骨、背骨の感触だ。
それが布越しでこんなにもはっきりと伝わるものだろうか。
脈を測る為に重力に従ってプラプラ揺れる手を取ると、その手首を見てノボリはハッと息を呑んだ。
白手袋とコートの隙間から覗く手首は、手袋の布が余る程に細くなっていたのだ。


「白ボスの入院手続き、終わらしてきたで」
「ありがとうございます……クラウド」

 あれからノボリは倒れたクダリを抱えて、蘇ったばかりの記憶を頼りに駅員室の扉を叩き、運よく残業で残っていたギアステーション内でも古参のてつどういんであるクラウドに助けを求めた。
十年行方不明だったノボリが自分より老いた状態で、更に意識のないクダリを背負って部屋に駆け込んで来た状況に、クラウドは酷く狼狽えながらもなんとか救急車を呼んで、クダリは無事病院に搬送された。
身内といえど、現時点で連絡先も身分を証明する物も持っていないノボリに代わって、クラウドがクダリの入院手続きをしてくれた。
 クラウドはクダリが眠っている病室に入ると、ベッド脇に置いてあった椅子を動かして、彼の寝顔を無言で眺めているノボリの隣に座った。
クラウドに礼を言ったノボリの声は酷く沈んでいて、シャンと伸ばされていた背中が曲がっている様子は、クラウドには自分より背が高かった筈の彼を小さく見せた。
 
「お医者さんはなんと?」
「しばらくは意識が戻らないだろう……と」
「……ずっと張り詰めてた糸が、とうとう切れてもうたんやな」
 
 点滴を受けながらベッドに横たわる身体は、記憶にある姿よりも遥かに痩せ細っていた。
制服から入院着に着替えさせられている時に見たクダリの身体は、肋骨が浮き出て、腹は抉れる様にへこみ、どこにも肉が付いていなかった。
目元にはどす黒い隈がこびりつき、唇はかさついてヒビが入り、僅かに皮が浮いている。
血の気の引いた青ざめた顔はやつれ切っていて、眠っている表情もどこか苦しそうだ。
慢性的な睡眠不足に、栄養失調と脱水症状、血圧も高くて医者から過労死寸前だったと聞くと、ノボリは血の気が引く思いがした。

「……白ボスがこうなったんは、わしらのせいなんです」

クラウドの声にノボリが顔を向けると、隣に座る彼は悔しそうに唇を噛んで、両膝に乗せた拳を固く握りしめていた。
 
「……わしらじゃ止めてやれんかった。真っ青な顔でもずっとデスクにかじりついて、フラフラしながらトレインに乗る姿も見てられへんかった。泣きながら白ボスを休ませようとした奴もいるんです……でも、みんながどんだけ頼んでも白ボスは休んでくれんくて。ただでさえ細っこい身体がどんどん痩せていって、どんだけ具合が悪そうでも白ボスは無理して笑ってて……わしらに……っ、「助けて」も、弱音一つも言うてくれんかった……」

説明している間に堪えきれずといったばかりに、クラウドの目から次第に大粒の涙が零れ始めた。
声を抑えて泣くクラウドの丸くなった背中を、ノボリは何も言わずに撫でた。
 
「ズズッ……すんません。黒ボスも帰って来てばっかりで何も分からんやろうに。そんなボロボロで、わしより年取ってもうて。……よう帰ってきてくれた。黒ボス」
「……いえ」

乱暴に目元の涙を袖で拭って鼻を啜るクラウドに、ノボリは何も言わずに首を横に振った。

「白ボスはひとまず上に頼んでしばらく休職にしてもらいますわ。バトルサブウェイの事は気にせんと、わしらに任してください。わしらも時々様子見に行くから」
「何から何まで……ありがとうございます」
「そのかわり、必ず元気になって二人で戻って来るんやで」
「ええ」
 
 夜も遅いので今夜はノボリのみ病院に泊まり、明日も仕事があるクラウドは自宅へ帰る事になった。
クラウドは一度ギアステーションに戻って、自宅の鍵を含めたクダリの荷物やボロボロのコートの代わりになるノボリの着替え、そして数日分の食料まで用意してくれていて、ノボリは彼の気遣いに礼を言って頭を下げた。
帰っていくクラウドを見送ってから病室に戻ると、眠っていた筈のクダリの目がうっすらと開いている。
ノボリは慌ててベッドに駆け寄ると、クダリの細くなった手を取って呼び掛けた。
 
「クダリ、クダリ!分かりますか?わたくし、ノボリです」

ぼんやりと天井を見つめていたクダリは、朦朧としながらもノボリの声に反応して、しばらくフラフラと視線を揺らすと、なんとか年老いた兄の姿を目に映した。
 
「…………ノ……ボリ」
「はい。……わたくし、戻りました。すっかり遅くなってしまい、申し訳ございません」
「…………」

一時的に意識が浮上しただけで、はっきりと意識が戻った訳ではないらしい。
クダリは一言ノボリを呼んだきり、何も言わずにノボリに握られた自分の手をぼんやりと見つめるだけだった。

「……今はゆっくりと休んで、自分が回復する事だけを考えてください」

ノボリはそう言ってクダリの額を撫でると、瞬きの間隔が長くなっていた彼は、そのまま目を閉じてまた眠ってしまった。
 
 その後弱り切った身体に追い打ちをかけるように高熱を出したクダリは、心労が祟った事による精神的な高熱と診断され、そのまま意識が戻らず病院で数日間寝込んだ。
なんとか微熱まで回復してひとまず命の危機を脱すると、また熱が出た時の解熱剤等の数種類の薬を処方されて、自宅療養に切り替えて退院する事になった。
 

しかし退院したところで、クダリの状態が良くなった訳ではなかった。
 
十年間。
 
その長い時間張り詰め続けていた糸が切れた反動は、予想以上に大きかった。

「クダリ」
「…………」

 ニ十分以上聞こえているシャワーの音に、ノボリが様子を見る為に風呂場のドアを開けると、湯気の全く出ていない空間の奥に、風呂用のプラスチックの椅子に座って俯くクダリの青白い背中があった。
彼は近づいたノボリの存在に気づいていないのか、低い椅子で余ってしまう長い足を折り曲げて、手はダラリとタイルの床に投げ出している。
その姿はまるで、糸が切れて立てなくなった操り人形みたいだ。 
まさか寝落ちしてしまったのか、それともまた体調が悪くなって動けなくなっているのか。
 ノボリは裸足になってタイルの床に足を踏み入れると、彼の隣にしゃがんでその横顔を覗いてみた。
クダリはノボリの存在に気づかずに、シャワーヘッドから放たれるぬるま湯を頭から浴びたまま、ガラス玉の様な目でジッと床を見つめて項垂れていた。

「クダリ」
「…………ぁ」

ノボリは流れっぱなしのシャワーを止めて、クダリの肩を優しく叩きながらもう一度呼び掛けると、ややあってからクダリは小さな声を漏らして、ほんの僅かに顔を上げた。

「髪は洗えましたか?」
「…………えっと……ごめんなさい」

 退院して熱は微熱まで下がって来ていたので、一人でシャワーを浴びるくらいは大丈夫だろうと思っていたが、まだ少し早かったかもしれない。
長時間ぬるま湯のシャワーを浴びていたせいで、彼の身体は冷え切っていた。
きっとこの状態でずっとシャワー浴びていたに違いない。
しかしその事は指摘せずに、敢えて髪を洗ったかどうかだけ尋ねると、彼はしばらくウロウロと視線を彷徨わせて、悲し気な顔で俯いた。

「ひとまず身体を温めましょう。このままでは風邪をひいてしまいます、足からシャワーを掛けますね」
「…………うん」

 ノボリはシャワーヘッドを掴んで水を出すと、ハンドルを調整して水の温度が上がるのを待った。
ようやく湯気が出るまで温かくなり、手を差し入れて丁度いい温度になっているのを確かめると、彼の足先からお湯をかけ始めた。
足から腰元に掛けてお湯をかけながら、ノボリはチラ、とクダリの顔を伺うと、コロコロとよく変わっていた表情も今ではすっかり凪いでしまい、喜怒哀楽が表れにくいノボリの固い表情とは違って、今のクダリのそれは全てが抜け落ちた無表情だった。
  
 
 過労の反動によるものなのか、退院前から兆候はあったが、家に帰ってからそれが顕著になり、クダリは恐ろしく静かになった。
無邪気な子供の様によく笑い、嬉しい時や楽しい時があった時は、身振り手振りも交えて話していた姿は見る影もなく、手負いのポケモンみたいに何も話さず、何もせずにジッとしていた。
何かをする気力もあまり無いようで、起きている間もベッドの上で寝転がったまま目を開けているだけか、ベッドに腰掛けて一日中ぼんやりと宙を見つめながら、心配で寄って来たデンチュラやアイアントを撫でたりしている事が多い。
更に言うなら、今は簡単な作業の順序を考えたりする事も難しくなっているらしく、こうして風呂や着替え、食事をする時に、どれから取り掛かればいいか決められずに、その場で呆然としている事も少なくない。
それ程までに、今のクダリは摩耗して疲れ切っていた。
 
今は何も考えずに、休息のみに専念して欲しい。
そう思いながらノボリはクダリを寝間着用の灰色のトレーナーに着替えさせると、かつて自分が使っていた部屋の黒いブランケットのベッドに横たわらせた。

「お手洗いや飲み物は大丈夫ですか?」
「うん」
「では、おやすみなさいクダリ」
「…………ねえ」 

ブランケットを彼の肩まで被せて照明を落とすと、部屋は一段階暗くなる。
ノボリは足音を消して部屋から出て行こうとすると、小さな声でクダリに呼び止められた。
 
「はい」

 ノボリが振り向くと、薄闇の中の彼は何か言おうと口を開きかけたが、言葉に詰まったのかキュッと口の端を引き結んで目を逸らしてしまった。
ベッドに横たわったまま、ノボリを呼び止める為に宙を浮かせていた手を胸に押さえつけてしばらく黙り込んだ後、クダリは歪な微笑みを浮かべて首を横に振った。
 
「…………ううん、呼んでみただけ。おやすみなさい」
「……おやすみなさい、クダリ」

彼が何を言おうとしたのかノボリは知りたかったが、無暗に問いただしても彼の負担になってしまうだろう。
ノボリは後ろ髪を引かれる思いで、何も聞かずに部屋を後にした。
 

 十分、ニ十分とリビングで待ってから、部屋のドアを少しだけ開けてそっと中を覗くと、クダリは目を閉じてベッドで寝息を立てていた。
ちゃんと眠れている様子に少しだけ安堵すると、ノボリはドアを閉めて隣の部屋、クダリの部屋の前に立った。
 現在クダリはノボリの部屋で休ませている。
それはノボリが今のクダリの部屋で彼を療養させたくなかったからだ。
ドアノブを掴もうとして、一度手を離して胸元に戻してしまう。
部屋の中がどうなっているのか既に知っているノボリは、いざクダリの部屋のドアを前にすると、どうしても中に入るのを躊躇ってしまうのだ。
ノボリは口腔内に溜まった唾を飲み込むと、キュッと口を引き結び、ドアノブを回して部屋の中に入った。
 
 薄暗く、掃除が行き届いていない、やや埃っぽいクダリの部屋にあったのは、大量の紙の束やファイルが積み重なった山、山、山。
お揃いで購入した机の上はもちろん、その周りの床、雑貨を置いていた筈の全ての棚、ベッドのサイドテーブルの上にすら書類が乗っている。
彼が気に入って集めていた電車やポケモンモチーフの雑貨や、手持ちのポケモンを模した小さなぬいぐるみ達が部屋からごっそりと無くなっており、それらは半開きのクローゼットの隅に置かれているダンボールの中に押しやられ、それで空いたスペースにも紙の束が乗せられていた。
 これらは全て、クダリが行方不明だったノボリを見つける為に集めて作った資料らしい。
ノボリがいなくなってからの目撃情報や、様々な走り書きが書き込まれた地図、かつての行方不明者が行方不明になった要因と、発見された場合はどういった状況だったか、他にも人を他の世界や場所に飛ばす力を持つポケモンや現象まで、どの資料にも細かい書き込みがされている。
 狂気すら感じる程のびっしりと文字が埋まった資料の量に圧倒されて、ノボリはいつも部屋の真ん中で立ち尽くしてしまう。
サブウェイマスターの二人分の激務に加えて、ノボリの捜索活動。
これだけの調査結果を調べあげるのに、一体どれだけの時間この机に齧りついていたのか。

「……あっ!」 
 
 ここ数日はクダリの事でそれどころでは無かったので、手はつけられなくて放置していた。
しかし、ずっとこのままにしておくのは、今のクダリにとってもあまり良くない気がする。
今日はもう遅いのでここの整理はまた今度にして、もう寝てしまおうと、ノボリはクダリのベッドに入ろうとしたが、足をベッドの近くに置いてあった資料の山にぶつけてしまい、一番上に乗っていたファイルが床に落ちて、中に挟まれていた無数の資料と写真がぶちまけてしまった。
慌ててしゃがんでその内の一枚の資料を拾ってみると、それは若い頃の行方不明になる前の自分の写真……正確にはその写真が真ん中に大きく写った、行方不明のノボリを探していると書かれていたポスターだった。
所々に見られるのはクダリの涙の痕だろうか。
更に他の書類や写真も手に取ってよく見てみると、どの資料や写真にも所々滲んだ痕があった。
 
「ずっと……探してくれていたのですね」
 
 涙の痕からクダリの悲しみが痛い程伝わってきて、ノボリはその場で床に座り込んだ。
喉がカッと熱くなって涙が込み上げてきたが、歯を食いしばってそれを堪える。
置いていった自分に泣く資格は無い。
ここで頑張り続けたクダリに比べたら、自分のXX年なんて何でもない。
震える手で資料をファイルに戻して、元の場所に戻した瞬間、隣の部屋から大きな物音と、クダリの苦しそうな声が聞こえた。
 
「クダリ!?」

慌てて中に入ると、ボロボロ涙を流しながら首元を押さえて、過呼吸になっているクダリ。
息も絶え絶えでとても苦しそうなのに、ずっと「ごめんなさい」を連呼している。
 
 涙に濡れるクダリの瞳は、底無しの闇以外に何も映してはいなくて、それが自分のせいだという事実がノボリの胸を抉る。
自分が側にいると気づいて欲しくて、ノボリは何度もクダリに呼び掛けるが、彼はノボリの腕の中で頭を抱えたまま、夢の中でみつからないノボリの事を呼び続けている。
荒れた心を落ち着かせるように、ノボリがずっと抱きしめて声を掛け続けていると、クダリの引き攣った息遣いは、だんだん弱々しくなっていった。
 
「ひっ……ううっ……ぅあ……」
「もうあなたを一人にしません。ずっと側にいます。……ですから、今はもうお眠りなさい」

 今のクダリの目に映っている悪夢の光景から少しでも遠ざけたくて、ノボリがクダリの目元を手で覆うと、彼はぐったりと身体の力を抜いて、気絶するように眠りについた。
クダリが静かになってからそっと目元から手を離すと、涙を拭う時にトレーナーの布で擦っていたので、濡れた頬や目尻はうっすらと赤くなっている。
これは後々腫れるかもしれないと、ノボリはクダリをベッドに運んでから洗面所へ向かい、彼の目元を冷やす為に水で濡らして固く絞ったタオルを用意した。
 足音を立てないようにクダリが眠るベッドへ戻ると、眠ったクダリは目を閉じたまま、また静かに涙を流していた。
薄く開いた口は何か言いたそうに僅かに震えていて、投げ出された右手の指先は、何かを求めるように力無くベッドのシーツを引っ掻いている。
ノボリはクダリの右手を包むように自分の手を重ねてみると、遠い記憶にあった安らぐ気持ちになる温かさを感じる事はなく、その指先は氷の様に冷たかった。

「申し訳ありません……ごめんなさいクダリ」

それからもクダリが悪夢を見て過呼吸になるのが続く。
普通に眠れる日は、月に指で数えられる程度。
ノボリが悪夢の元を探ろうとするも、クダリにはぐらかされてしまう。

悪夢の内容

ぼくは椅子に座ってペンを握り、紙に必要事項を書いていた
目の前にある紙はノボリの失踪届
これを提出したら、書類上ノボリは死んでしまった事になる

ぼくはもう、疲れていた

ノボリがいなくなってから、求められるギアステーションの仕事と責任が倍増した
サブウェイマスターとして負けられない事が、いつしか自分を支える闘志から重いプレッシャーになった
家に帰ってドアを開け、静かで真っ暗なリビングを見ては、自分は独りなんだって嫌でも思い知らされた
空いている時間を見つけてはノボリの行方を調べてたけど、手掛かり一つ見つけられなかった
ずっと気を張り詰めてるせいか、いつも息苦しさを感じるようになった

それでもいつかノボリが帰って来るって信じ続けて、前に進み続けた

でも、そうしている内にぼくの中の色んなモノが擦り減っていって、疲れてしまった
 
気遣ってくれる部下やお客様、ポケモン達に「大丈夫」って笑う事も
「ノボリは死んだ」「もう諦めろ」って言う人に「そんな事ない」って怒る事も
置いて行かれた事を嘆いて、一人分空っぽになってしまった家で、独り眠る寂しさに泣いてしまう事も
気がつけばすっかり苦痛になってしまったポケモンバトルを、楽しいフリの演技する事も

……もうなにもかも、疲れちゃった

もうずっと、苦しいの
ずっと誰かに首を絞められてるみたいなの
息が苦しくて、本当は立ってられないの
駅のホームに立つと口の中がカラカラに渇いて、汗が止まらなくなる時があるの

……でもみんなを心配させないように、ぼくはずっと笑い続けてるの
滑稽だよね?
 
だから、これは区切りをつけるいい機会なのかもしれないって思ったの

ノボリはもう帰ってこなくて
ぼくはこれからもずっとひとり
地下の世界で電車に揺られながら、ひとりで挑戦者を待ち続ける
ノボリがいない非日常を、ただの当たり前の日常にするの
 
そうしたら……この息苦しさも少しはましなるかもしれない

 
「……では。こちらの失踪届、受領いたします」

いつの間にか失踪届は書き終わっていた
我に返って立ち上がると、役所の人が頭を下げていた
 
待って

役所の人が僕の書いた失踪届を持って席を立つ
 
待って、お願い
それを持っていかれたら、ノボリが死んでしまう

役所の人の背中がどんどん遠くなっていく

この世界でノボリが、本当に死んだ事になってしまう!

止めないと

止めたいのに

止めなきゃいけないのに

なんでぼく……「やめて」って言えないの?

 
……結局ぼくは役所の人が見えなくまで、その人を引き止める為の手も、声も、何一つ出せかった

『わたくし、死んでしまったのですね』
「っ……!」

誰もいなくなった窓口で呆然と立ち尽くしていると、いつの間にかノボリが隣に立っていて、思わず息を止めた
少しだけ横を見ると色違いの黒いコートが見えて、すぐに足元に目を落とす
 
ノボリの顔が見るのが怖くて、とてもじゃないけど顔を上げられなかった
  
『わたくし、信じていました』
 
ノボリの声には温度がなくて、怒りも悲しみも感じられない 
ノボリが今何を思っているのか全然分からなくて、それがよけいに怖くてたまらなくて、強く首を絞められたみたいに苦しくて、息がどんどんできなくなっていく
 
『どんなに苦難があったとしても、それを乗り越える為にどれだけ時間が掛かったとしても、その果てにわたくしの帰りを信じて待ってくれているあなたがいると……そう信じていたのに……あなたは信じてくれなかったのですね』
「ちが……」
 
否定しようとしたけど、何も言えなかった
「違う」って……本当に言える?

『…………』 

隣の気配が無くなって顔を上げると、ノボリがぼくから背を向けて、どこかへ行こうとしていた
 
「ノボリ、ノボリ!!」

転びそうになりながら必死に追いかけて、ノボリの背中に抱き着いた
 
「ごめん!ごめんなさいノボリ!!ごめんなさい!!違うの!!行かないで!お願い、ずっと一緒にいて!行かないで!!もうぼくを置いていかないで!!」

地面に膝をついて、子供のワガママみたいにノボリのコートに皺が入る程強く掴んで、その背中に縋りつく
こんな姿、ノボリにみっともないって言われるかもしれない
でもそんな事、考えられなかった 
ノボリを繋ぎとめたい一心で、今思っている言葉をそのまま必死に叫んで懇願した
 
『何故?』
「……え」
 
肩に置かれたノボリの手が、妙に細くて、固い……どうして?
恐る恐る顔を上げると、真っ黒な二つの虚と目が合った
 
『わたくしもう死んでいるのです。あなたのせいですよ、クダリ』
「!!!」
 
ノボリの声で話す黒いコートを纏った骸骨が、ぼくを見下ろしていた

悪夢から覚めて

「……、……!」
「クダリ……?」
 
 壁越しでも聞こえる布が擦れる音と、断続的なベッドの軋んだ悲鳴。
真夜中に物音で目が覚めたノボリは、身を起こしてクダリが眠っている部屋の方の壁を見つめた。
自分の眠りを妨げた物音は、未だに壁越しに主張を続けている。

「……ぁ、……っ!」

物音の中から僅かに耳が捉えたのは、クダリの苦しげな声。
それを聞いてノボリは弾かれるようにベッドから飛び出して、隣の部屋へ駆け込んだ。

「クダリ!!」
「……っあ、が……かはっ……!」

 ぶつかる勢いでドアを開けると、クダリはベッドの上で苦しげな声を出してもがいていた。
苦しさから少しでも逃れようと足がシーツや空を蹴り、腹や胸が痙攣を起こした様にビクビクと跳ねている。
見開かれた目は天井を見つめているが、焦点が合っておらず、目尻から溢れた涙は顳顬の方へと流れていく。
胸や首を掻き毟り、限界まで開かれた口からは、掠れた苦悶の声と、喉奥で閉じ込められた空気の塊が、体外に出ようと暴れて、僅かに漏れていた。

毎日のように起きていた過呼吸よりももっと酷い。
クダリは息ができていなった。
  
横に向かせて背中を叩いて息をさせて、咳き込むクダリを抱きしめて声を掛け続けた。
 
「側にいますから」

その言葉を聞いた瞬間、クダリはカッと目を見開き、両手でノボリを思い切り突き飛ばした。
 
「やめてよ!そんな嘘つかないで!!」
「……嘘?」 
「ノボリは優しいから!そうやって嘘ついて一緒にいてくれてるんでしょ!?」
 
ヒステリックに叫ぶクダリの言葉に放心するノボリ
 
「な、にを……言っているんですか?」
「だって……、……た」
「え?」
「ノボリを……殺した」
「ぼくノボリを殺した!!」
「どういう意味ですか?クダリ?」
「だってぼく……ノボリが帰ってくるの、信じきれなかった!自分が苦しいのから逃げたくて、ノボリの事諦めた!!ぼくが諦めたせいで、この世界のノボリは死んじゃったの!!」

己の罪を全てを曝け出すように、悲愴な顔でグラグラと瞳を揺らがせながら、クダリは叫び続けた。
 
「ぼくがノボリ殺した……ぼくが一番……ノボリの事信じてないといけなかったのに……」
「だからノボリ、本当はすっごく怒ってるんでしょ?……「なんで信じてくれなかったんだ」って……だから……もう、ノボリがぼくと一緒にいてくれる訳、ないの……」
「嘘でもないと……ノボリがぼくの隣に居てくれる訳……ない……」

言葉の勢いを失って、ボロボロ涙を流しながら、ベッドの上でへたり込むクダリ
 
「なんですか……それ」
「わたくしが……自分を偽ってクダリの側にいると……そう思っているのですか?」
「あなたが、誰を殺したと?……わたくし、ちゃんと生きておりますよ?」
「ねえ、クダリ。わたくしあなたの事を怒っておりません。あなたは何も悪い事をしていないじゃないですか。怒る理由がありません。そうでしょう?」
「……あなたにとってのノボリがもう死んでいるのなら……今ここにいるわたくしは……一体誰なのですか?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
 
ノボリが呆然とした声で問いかけても、クダリは顔を覆って泣きじゃくりながら謝るだけで、何も答えてはくれなかった。
 
クラウドに相談

 あれからクダリは、いつものように泣き疲れて力尽きるように眠りに落ち、朝になって日が高くなっても、部屋に籠ったきりで、リビングに出てこようとはしなかった。
朝食を作る際、冷蔵庫がほとんど空っぽな事に気づいたノボリは、リビングのテーブルにクダリの朝食と書置きを置いてから、念の為のクダリの見張りをダストダスに任せ、シャンデラを伴って買い物に出かけた。
数日分の食料を買い込み、徒歩十五分にも満たない帰り道を、足をひきずるように歩いていたが、遅い足取りはどんどん重くなって、終いには立ち止まってしまった。
少しだけ、ほんの少しの間だけ、クダリから離れていたかったからだ。
 
思いのほかショックだった。
自分が本当にここに立っているのかさえ、分からなくなってしまった。

「シャンデラ。わたくし……本当は死んでいるのでしょうか?」
「正直な所、この世界にどうやって戻って来たのか記憶が定かでは無いのです。もしかしたら……本当のわたくしはあの世界で命を落とし、未練たらしくクダリに取り憑いているただの亡霊……いや悪霊なのかも、いたっ!?え!?」

 暗い目で垂れ流されるノボリの話を、シャンデラは自分のパートナーに思い切りビンタをして遮った。
何が起きたのか分からないまま叩かれた頬を押さえて目を丸くするノボリに、シャンデラは目を吊り上げながら腕を鞭の様にしならせて、さっきと反対側の頬を思い切りぶった。
 
 死後の世界や霊については、ゴーストタイプのシャンデラの領分だ。
そんなシャンデラを前にして、長年の付き合いのあるパートナーであるシャンデラを前にして、自分は亡霊なのかもしれない?
冗談じゃない!!
 
パートナーの濁った目を覚まさせて、二度と馬鹿げた世迷言を言わないように、シャンデラは腕で防御する隙を突いてビンタして、距離を取ろうとするとおにびを飛ばして軽い火傷になる程度に彼の肌を掠め、ノボリを徹底的に懲らしめた。
 
「いたっ、あつっ!痛いです!シャンデラ!!やめてくださいまし!!」

ノボリからの必死の制止に攻撃を止めて、シャンデラは息を切らしながらも、「目は覚めた?」とパートナーに問いかけた。
地に足がついた心地がした。
 
「いたたた……すみませんシャンデラ。クダリの思い込みに、わたくしまで囚われそうになっていました」

「ノボリを殺した」というクダリの言葉。
おそらくそれがクダリが今何に苛まれているのかを真に理解する為の鍵だ。
ライブキャスターでクラウドと会話する。
 
「はい」
「勤務中にすみません、クラウド。少々聞きたい事があるのですが」
「なんです?」
「クダリがわたくしを殺した。……とは、どういう意味か知っていますか?」

単刀直入に尋ねると、クラウドは僅かに目を見開いてから、気まずそうにフイ、とノボリから目を逸らした。

「……知っているんですね?」
「……黒ボス、今どこにおります?」
「家のマンションの近くにある公園でございます」
「そこで十五分くらい待っててください、今から昼休みやからそっち行きますわ。……あんま通話内容聞かれたくないんで」
「分かりました」

程なくして近づいて来る足音に顔を上げると、駆け足で走って来たらしいクラウドが、制服の帽子とジャケットを脱いで、ネクタイを付けたシャツとスラックスのみの姿で、息を切らしてやって来た。

「さっきの質問やけど。……多分、失踪届の事やと思います」
「失踪届?」
「ああ、黒ボスの」

クラウドは缶のプルトップを開けて、コーヒーに口をつけた。
言いにくい事なのだろう、彼がコーヒーを飲んでいる横顔を見ると、自分も仕事中によく飲んでいた黒い液体が、いつもより苦そうに見える。
口に残った僅かな水滴まで飲み込むと、クラウドは重たげに口を開いた。

「人が行方不明になって、生きとるかどうか分からん状態が七年続いた場合、手続きしたら法律上死んだ事になる制度があるんは知っとるか?」
「ええ、まあ。……なんとなくは」
「やから黒ボス。あんた今、法律上では死んだ事になっとるねん」
「失踪届を出したのは白ボスや。一人で出しに行ったみたいやから、その日何があったんかはわしにも分からへん。……でもそれからや、白ボスが全然休まんと働きだしたの。……今思えば、まるで罪滅ぼししとるみたいやった」
「罪滅ぼし……」


クダリ待つことに疲弊しきって失踪届を出し、兄の帰還を信じ切れなかった事、法律上自分がノボリが死んだ事にした=殺した事に大きな罪悪感を感じている
罪滅ぼしみたいに、ただでさえ激務だった仕事を更に詰めて、自殺的な生活をしていた
帰り道にある策を思いつくノボリ
 
「シャンデラ、あなたにお願いがあるのです」

再び悪夢で飛び起きたクダリを見て、ノボリはシャンデラに自分を燃やしてもらおうとする。

「クダリ。あなたはまだ、自分がわたくしを殺したと思っていますか?」
「わたくしがちゃんと生きていて……今、自分の意思であなたの側にいるのだと……信じられませんか?」

恐る恐る頷くクダリ
 
「……分かりました」
「……え?」
「わたくしの存在があなたを苦しめているのなら、わたくしは消えると致しましょう」
 
「シャンデラ、わたくしを燃やしてくださいまし」
 
戸惑う声を出すシャンデラ

「ええ、構いません。骨も残さず、跡形も無く燃やしてくださいまし」
「さようなら、クダリ。……どうか、健やかに生きてくださいね」

悲しげな声で鳴くシャンデラの炎がノボリの身体を包んだ。
 
「だめ……だめ!やめてシャンデラ!!」

シャンデラの炎が消えて、その場で頽れたノボリを抱き起こすクダリ。
 
「ノボリ!!ノボリ!!」
「大丈夫です。……ほら、見なさいクダリ。シャンデラの炎を」

ノボリの魂を少し燃やしたから、紫の炎の中に漆黒が混じっている。
 
「ノボリの色……」 
「どうです?クダリ。わたくし……ちゃんと生きているでしょう?」 

シャンデラは、クダリが止めにかかる事を信じてノボリを燃やした。
ノボリの魂を使った、命懸けの賭けだった。
 
「ごめんなさい……ごめんなさいノボリ!ノボリの事、信じられなくてごめんなさい!!」

ノボリを抱きしめて泣きながら謝るクダリ
 
「……ねえ、クダリ」
「わたくし……あなたからの謝罪よりも、もっと欲しい言葉があるのです」
「ぐすっ……なに?」
「……「おかえり」と、言ってください」
「……え?」
「わたくしまだ一度も、あなたにおかえりと言われていません」
「ちゃんと元の世界に帰れたのだと、あなたの元に帰れたのだと、実感させてくださいまし」

「おかえりなさい、ノボリ」

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