「酷いですアズール。日々の仕事で疲れているあなたに良いリフレッシュの場を提供しようとした健気なウツボになんて仕打ちでしょう、しくしく」
「な~にが『リフレッシュの場』だ!!お前は運動部のキャンプに行けなかったから、僕達を巻き込んで山に行きたかっただけだろう!!」
「丈夫だね、ジェイド。赤くなってるだけだ」
「すげえな、てっきり骨イっちまったかと思ってたぜ。え~っと、シップ?って、こう貼るのか?あ、スレイドもうちょっと服捲ってくれ」
「わかった、臭いから息も止めておくね」
仁王立ちになって、茹で蛸の様に顔を真っ赤にして説教をするアズールに対して、下手くそな嘘泣きをしているジェイドはその場で正座をさせられていた。
残りの二人はする事がなかったので、蹴られて赤くなったジェイドの肩に、パッケージを手本にしながら湿布を貼っていた。
湿布を使った事が無い二人だったので、手つきがぎこちなく、患部から若干ずれてしまったがそこは愛嬌だろう。
「お優しいですねえ二人とも、ありがとうございます」
「別にいいぜ、シップってのがどんなのか使ってみたかっただけだしな。パッケージの写真みたいに上手く貼れなかったけど」
「臭いからもうあんまり使いたくないしね」
「聞きましたかアズール。僕が受けたこの打ち身を手当する為に、二人は使った事の無い湿布を苦戦しながらも貼ってくれたというのに。あなたは薄情なタコですね」
「二人とも放っておきなさい、こいつは骨が砕ける位蹴っても笑顔で立ち向かってくるイカれウツボですから。まったく、無関係の一年生まで巻き込むなんて……一体どんな対価を払えば……」
端から見たらアズールが勝手に山に連れて来たジェイドを蹴って怒り、スレイドとバイトがジェイドの手当をしているように見えている。
しかし、アズールは無理矢理山へ連れていかれた怒りと、巻き込まれた一年二人へどんな対価を払えばいいかの心配しかしておらず、一年二人はジェイドの心配をしている訳ではなく、ただ使った事の無い湿布を触ってみたかっただけだし、ジェイドはアズールが言った通りただ他の者を巻き込んで山に行きたかっただけだ。
結局は全員、自分勝手に動いているだけだった。
「さて。説教はこれくらいにして、帰りますよ」
「嫌です。せっかく来たばかりなのにまだ帰りたくありません」
「お前その図体でその顔して、自分で可愛いと思っているんですか?」
アズールが帰ろうとするとジェイドは正座をしたまま頬を膨らませてプイと顔を反らせた。
いくら可愛い顔をしても、やっているのは身長190㎝の大男なので、これを可愛いというのは彼の片割れ以外にはそういないだろう。
「ではお前だけこの山に残りなさい。僕はまだラウンジの仕事が残っているので先に帰ります」
「アズール仕事で疲れてるって聞いてたけど、また仕事して大丈夫?」
「ご親切にありがとうございますスレイドさん、これくらいなら慣れているので平気です。二人もジェイドに巻き込まれたのでしょう?僕と一緒に帰りますか?」
「う~ん……どうする?バイト」
アズールからの誘いにスレイドは首を傾げ、少し考えてから自分の幼馴染に意見を仰いだ。
「どうするかな……予定外とはいえ、せっかく来たことの無い場所に来たしなあ」
「ジェイドに遠慮する事はありませんよ?正直におっしゃってください」
「アズール」
「何ですジェイド」
「あなた、帰り道はご存じで?」
アズールが迷っている二人を味方に引き入れようとしていると、言葉を挟んできたジェイドに図星を突かれて、ギクリと顔を強張らせた。
「ふ、ふん。そんな脅しには通用しません。所詮は山、下に向かって下りて行けばおのずと地上へたどり着く筈です」
「あ、アズール先輩。ここ上り坂と下り坂がずっと交互にあったから、下り坂が帰り道とは限らねえぜ?」
「なんですって?では二人のどちらか案内してもらってもいいですか?」
「ごめん。俺達ジェイドについて行ってただけだから、道分かんないや。この山、コースが三つに別れてるんだけど、途中から道が合流してたりしてたし」
「…………」
道を理解していなかった二人にアズールが言葉を詰まらせると、正座をしたままのジェイドが口の端をニィを吊り上げて、意地の悪い笑みを浮かべた。
「アズール、この場で道を知っているのは僕一人。土地勘のないあなたが一人で山道を歩くと、遭難してしまうかもしれません。ここは僕達と一緒に、大自然を楽しみながら山登りを楽しんでみてはいかがでしょう。新鮮な体験をすると新しいアイデアや発見があるかもしれませんよ?」
「お前……僕を昏倒させてから連れて来たのは、最初からこの状況を作るのが目的だったんだな」
「ふふふ。さあ、どうでしょう?」
「あ~……ちょっといいか?」
再び言い争いになりそうな空気に、呆れ顔のバイトが手を挙げてそれを遮った。
「二人共ここでケンカするより、ちゃっちゃと山登って帰ったらいいんじゃねえか?この山普通に登ったら余裕で日帰りできるんだろ?オレもここまで来たらちゃんと登ってから帰りたいしよ」
「うん、少なくとも休憩には飽きたかな。進むにしろ帰るにしろ、そろそろ歩きたい」
「……はぁ~~~……仕方ありませんね」
バイトの言葉とスレイドの追撃にしばらく黙り込み、とうとう根負けしたアズールは、額に手を当てて長い溜息を吐いた。
「非っっっ常に!不本意ですが、慈悲の精神で今日の所は付き合ってあげますよ」
「ふふ、あなたの慈悲に感謝しますアズール。それでは行きましょ、っあ!……っ、う」
正座から立ち上がろうとしたジェイドが、突然足先を中心に走った電撃を食らったような感覚に、足を押さえながら再び地面に蹲った。
「ジェイド?」
「ジェイド先輩?どうしたんだ?」
「足が、痺れました……」
「痺れた?クラゲでもいたのかな……痛い?さすったら治る?」
「いや、ちょっ、スレイドさ、……っ、~~~っ!」
声を出すのもきつい状態でのジェイドの必死の制止も虚しく、正座した後の足がどうなるのか知らないスレイドによって、ビリビリに痺れている足を思い切りさすられて、彼は悲鳴すら上げられずに悶絶した。
それを見ていたアズールは、己の右腕の滅多に見られない姿を、胸ポケットに入っていた自分のスマホで動画に収めて、いくらか溜飲を下げたのだった。
「はあ……酷い目にあいました」
「ごめんジェイド、よけい悪化させたみたい」
結局あれから足を触れば触るほど悶絶するジェイドの反応が面白くなって、スレイドはバイトに頭をはたかれるまでジェイドの足をつついたり掴んだりして楽しんだ。
出発した今、若干げっそりした顔でぎこちなく前を進むジェイドに、スレイドはさすがに悪い事をしたなと謝った。
「ふふふ。懐かしいですねえ、陸に上がったばかりの時の様でしたよジェイド」
「歩くのに一番時間がかかったアズールに言われたくありません」
「お前とはたいして変わらなかっただろう」
「アズールとジェイドも、やっぱり歩けるようになるの大変だった?」
アズールとジェイドの皮肉の応酬が再び始まりそうになったが、スレイドの質問で一旦収まった。
「ええ。尾びれが裂けて別々に動かすのが難しく、慣れるのにかなり苦労しました。フロイドが一番早く歩けるようになって、その次に僕、最後に一番苦戦したアズールが歩けるようになったんです」
「一番苦戦した、は余計です」
「へえ、元がタコだからアズールの方が歩けるの早そうだと思ってたけど、そうじゃないんだ。ほら、他の足は丸めて二本足で海底を歩くタコっているじゃない?」
海底を歩くように泳げるタコの人魚のアズールが一番早く歩けると予想していたスレイドは、予想していなかった順番に目を瞬かせた。
「元々あった足が六本も減ったんです。さらに骨ができて関節部分しか足が曲がらなくなったせいで、全然言う事を聞いてくれなかったんですよ」
「そうなんだ。あ、でも陸のメスみたいにスカート履いて裾持ち上げて歩いてみたら、イメージしやすかったんじゃない?」
「しませんよ、僕に女装の趣味はありません」
とんでもない事を言い出したスレイドに、アズールが眉を歪めた。
「そう?黒とか紫のふわふわスカートとか似合いそうだけどなあ……」
「……ふわふわスカートの、アズール先輩?」
「ブフッ!!」
「着 ま せ ん!」
スレイドが女装の具体的な例を出すと、それを想像してしまったバイトは宇宙猫の顔になり、ジェイドは口元に手を当てて堪えようとしたが間に合わず、盛大に噴き出した。
「ふ、ふっ……アズール、ふ、モストロラウンジで女装イベントも、ふふ、面白いのでは?」
「しません!!仮にしたとしても僕がするわけないでしょう!第一どこに需要があるんですか!」
「一部の物好きな方には需要があるかもしれませんよ?」
「あーはいはい、先輩達止まってねえでさっさと前に進もうぜ」
大声で怒るアズールが立ち止まりそうになったので、バイトは後ろから彼の背中を押して、前に進むよう促した。
「ゴホン!そういうスレイドさん達はどうだったんですか?やはり歩けるようになるまでかなり苦労したのでは?」
話を変える為にアズールはわざと咳払いをして、今度はスレイド達に話題をふった。
「すごく大変だった。俺は中々立てなかったから、まず立つ前に人間の子供が立つまでの過程を参考に練習してた。いきなり立つんじゃなくて、ずり這いからハイハイ、つかまり立ちから歩くって感じ」
「へえ、そうだったんだな」
「おや、バイトさんはスレイドさんと一緒に訓練校に行かなかったのですか?」
同じ時期に訓練校に通っている筈なのに、どこか他人事の様な口振りでスレイドに相槌を打つバイトに、ジェイドは違和感を覚えた。
「オレはまずこの眼鏡で見えるのに慣れるのが先だったからな。目の使い方も分からないままいきなり歩くと危険だから、まずはそっちの訓練をして、その後に歩行訓練したんだよ。だからスレイドとは別行動だったんだ」
「なるほど、別行動だったんですね」
「目の事もあって、バイトはかなり内容詰め込まれてたからね。あ、そういえば歩けるようになるのも大変だったけど、お風呂に慣れるのも大変だった。あそこのお湯、すっごく熱かったし」
「……ああ〜、確かに。今でも思い出したくねえ」
スレイドが風呂の話題を出すと、バイトは眉間にシワを寄せてあからさまに嫌そうな顔をした。
「ふふ、バイトったら面白いんだよ。お湯が熱くて風呂場の外まで聞こえるくらい叫んでたから」
「なっ、お前こそ素っ裸で学校中走って逃げ回ってただろうが!」
「あっ、言わないでよバイト。さすがに少し恥ずかしかったんだから」
「へー?お前にも恥ずかしがる羞恥心、ってやつがあったんだな。意外だぜ」
笑いながらバイトの訓練校での恥ずかしい事を話したスレイドに、負けずとバイトも彼の恥ずかしい事を叫んだ。
それを聞いて珍しく慌てた素振りをした幼馴染に、バイトは少し気分を良くして、目を細めながら意地の悪い笑みを浮かべた。
「むう……そういうのシツレイ、って言うんだよバイト」
「フン、何とでも言いやがれ」
口を尖らせてジトリと睨みつけてくるスレイドに、彼は気にせず鼻で笑った。
「ふふふ、懐かしいですね。実はフロイドもお湯が熱くて大声で暴れた挙句、素っ裸で脱走して訓練校中走って逃げ回っていたんですよ」
「フロイドもそうだったんだ。やっぱりあそこのお風呂熱かったよね、あんなの無理だよね」
ジェイドが笑いながら言った言葉に、スレイドも食いつくように同意を求めた。
「確かに、あそこのお風呂は熱かったですね。僕も今はシャワーを浴びる時はもう少しぬるいお湯にしています」
「アズールも熱かったんだ」
「訓練校ではお湯の熱さを我慢して、文字通り茹でダコになってのぼせていましたからね」
「うるさいですジェイド。お前だって大声で「熱いです!」って騒いでいただろう」
「ジェイド先輩もそうなんだな」
先輩二人の自分達と大差ない体験談を聞いて、後輩二人はほんの少しだけ彼らに親近感が湧いた。
「風呂って熱いのじゃないと駄目だと思ってたけど、湯はぬるくしても大丈夫なんだな」
「うん、今日からお風呂もう少しぬるくしよう」
「そうだな、毎日茹で上がって身体がダメになっちまいそうな熱さの風呂に入るのはごめんだぜ」
共通の話題ができた事で、山登り一行は時に誰かを煽ったりからかったりしながらも、比較的和やかな空気で会話に花を咲かせ、時折文句を言いながらも何だかんだいって登山の道を楽しんでいた。

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