「黒ボス」
「「はい」……あっ」
ノボリが違和感に気づいたのは、乗務員室でのふとした出来事。
自分がてつどういんに呼ばれた時に、何故かクダリも返事をした時だった。
部下に向かって振り向いたクダリの顔は、自分と瓜二つの無表情で、まるで目の前に鏡が置かれているみたいだった。
不思議に思ってノボリがクダリの横顔を見つめていると、視線に気づいたクダリは「しまった」という顔をしてから、目を伏せて俯いた。
「……あの?」
「失礼しました。書類の確認ですね?」
「あ、はい。お願いします」
「確かに。修正が必要なら後でお伝えします」
妙な沈黙が流れて、部下から気まずそうに声を掛けられたので、ノボリが慌てて書類を受け取る。
足早に部下が去って行った後でクダリに目を向けると、彼はノボリから顔を逸らしたまま俯いていた。
「……ごめん、ノボリ」
「いいえ」
気になってその後もクダリを観察をしていたら、彼の違和感のある行動は続いた。
ノボリが誰かに声を掛けられると、何故かクダリが返事を返してしまうのはもちろん、モンスターボールを投げる手がいつもと逆だったり、コーヒーのマグカップを置く位置がいつもと逆に置かれていたり、ふとした時の仕草が自分と似通っていたりと、クダリが時折ノボリの真似をする。
更におかしいのは、それをする度にクダリが戸惑った顔をする事だ。
無意識にしてしまった間違いに気づいたみたいな、そんな表情をするのだ。
クダリに聞いてみようにも、数年行方不明になっていた状態から無事帰還して、先月ようやく復帰したノボリにバトルを挑もうと、連日挑戦者達が押し寄せた為に二人は多忙を極め、ゆっくりと話ができる時間が中々確保できない。
そうしている内にノボリが感じていた違和感が決定的になったのは、それから数日後の夜の事だった。
仕事が終わったノボリは、更衣室でコートを脱ごうとしていた。
他の部下達は既に仕事を終えて帰路についており、今このギアステーションにはノボリとクダリしかいない。
明日は二人共仕事が休みなので、家に帰ったら時間を取って、クダリにここ最近の違和感について彼に話を聞いてみよう。
そう考えながら自分のロッカーを開けると、仕事を終えたクダリが入って来たらしく、更衣室のドアが開く音が聞こえた。
「クダリ?……何故わたくしのコートを着ているのです?そこはわたくしのロッカーですよ?」
後ろから投げかけられた言葉に、ノボリは手を止めて振り返った。
更衣室の入口の前に立っているのは、間違いなくクダリだ。
しかし自分に問いかけた時の声の高さ、話し方の抑揚、不思議そうに自分を見つめる表情、何か考えを巡らせる時口元に手を当てる仕草は自分そのもの。
今のクダリは、まるで白いコートを着ているノボリだった。
「……クダリ、わたくしがノボリですよ」
「え?何を言って……あ」
ノボリがそう言うと、ノボリの顔をしたクダリは不思議そうに首を傾げる。
しかし自分が何を言っていたのか、すぐに気づいたらしく、小さく声を漏らすと、サアッと血の気が引く音がする程に、クダリの顔色がみるみる悪くなっていった。
「……クダリ。話してくれませんか?」
「…………」
決定的な間違いをしてしまって、言い逃れができないと判断したクダリは、何も言わずに小さく頷いた。
二人は着替えてすぐに自宅へ帰ると、遅い夕食をとってソファに隣り合って座った。
クダリは自分の指先をいじりながら、隣に座るノボリを横目で見ては、俯いて手元に目を落とすを繰り返したが、隣に座るノボリは何も言わずにクダリが話し始めるのをじっと待っている。
長い長い沈黙の末に、クダリはようやく重い口を開いた。
「えっと、ね……ノボリがいなくなってた間、ぼくがシングルとダブル、両方やってたのは知ってるよね」
「はい。あなたから聞きましたから」
「シングルの時はノボリになってた。……ノボリとしても仕事してた。右手で文字を書いてたし、モンスターボールも投げてた。仕事中のコーヒーは必ずお砂糖一つ。パソコンの作業中でコップを倒さないように、取っ手を外側にして置くの。誰かに何かを聞かれて考える時は、こうやって口元に手を当てて少し目を逸らして考えるんだ」
そう言って手で軽く覆われたクダリの口元には、うっすらと笑みが浮かんでいたが、その言い方はまるで、いけない事でもしているみたいな口ぶりだった。
クダリがノボリのフリをするのは、別に珍しい事ではなかった。
それ自体は、ノボリがヒスイ地方に飛ばされる前からやっていた事だからだ。
ノボリも必要に駆られた時は、クダリに扮してクダリとして仕事をした経験もある。
だからノボリは、何故クダリが今更それに負い目を感じているような素振りを見せているのか、全く分からなかった。
「……ぼく、ノボリの事忘れるの怖かった。ノボリがいない時間が増えていく程、ノボリの事忘れていくの。……ぼくノボリの事絶対忘れたくなかった。だからどんどんノボリになる時間が増えていった。ノボリが帰って来てくれた少し前とかは、ダブルトレインに乗る時以外はずっとノボリだった気がする」
クダリは少しだけノボリに視線を向けると、「は」と乾いた吐息の様な声を漏らして、悲し気に笑った。
「ノボリが帰って来てくれてよかった。また一緒にサブウェイマスターやれて、すごく嬉しい。……でもぼく、自分がどんなだったか分からなくなっちゃった……クダリに戻れなくなっちゃった」
クダリはそう言ってから長いため息を吐くと、両手で顔を覆った。
「……ねえ、ノボリ。……ぼくは今、どっちなのですか?」
自分を擦り減らして疲弊しきった掠れ声で、クダリは敢えてノボリの口調を真似てそう問いかけた。
「あなたはクダリです」
迷いの無い声にクダリが顔を上げると、隣に座るノボリは真っすぐにクダリを見つめていた。
「生まれた時からも、今も。あなたがどう変わろうと、これからもずっと。わたくしの双子の弟のクダリです」
「…………」
ノボリは自分の言葉を真っすぐに伝えたが、クダリはぼんやりとした表情でノボリを見つめるだけで、何も答えなかった。

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