分かれ道も少なくなり、更に急勾配になって階段も増えていく道を進んだ先に、とうとう目的地へ通じる出口が見えた。
外に出た瞬間にキン、とした冷たい強風に襲われて、二人は思わず目を閉じた。
そっと目を開くと、まだうっすらと星が輝いている夜明けの空を背景に、先端が崩れた無数の柱が立つ神殿の様な場所が広がっていた。
時折白い何かが視界を横切るので霧かと思ったが、遠くまで見渡すと霧だと思っていたものは雲だった。
雲の隙間から見える今まで巡って来た街も遥か遠く、手のひらに収まる程に小さくて、そこに住む人達の姿は全く分からない。
それだけ二人は、高い場所まで登って来たのだ。
「……着いた。やりのはしら」
「…………」
二人と一匹から漏れる吐息は口から零れると、寒さからたちまち白く染まって、三つの煙として断続的に風に流れていく。
指先から凍えそうな程に冷たい強風は、やりのはしらに足を踏み入れた人間を拒絶するように、彼らを凍えさせようと絶えず吹きすさんだ。
「よし。……わっ!?」
「!」
前に進もうとコウキが足を踏み出した瞬間、突然聞き慣れない大きな音が鳴り出し、それを聞いた一同は一斉に音が聞こえるコウキのリュックに視線を注いだ。
コウキが慌ててリュックの中にある音の源を取り出すと、それは音が鳴らない筈だったあの笛だった。
「笛から、勝手に音が鳴ってる!?」
クダリに片手の身振りで「吹いてみて」と促されたので、コウキは無言で頷き、笛を構えて吹き口を咥えると、大きく息を吸いこんだ。
その笛から出たのは、この世のものとは思えない不思議な音だった。
吹き方を知らない筈なのに、不思議とどう指を動かせばいいのか分かる。
頭の中に浮かぶ命令に従って、笛の穴を指で押さえると、音は旋律となって高く低く、やりのはしらの空気を揺らす。
ただ息を吹き入れただけとは思えない程に、笛の音はテンガン山の端々まで届くかのように、遠くまで響き渡った。
「……うわっ!?」
「!?」
旋律を吹き終えたコウキは、笛から口を離して一息つく間もなく、空からの眩い光に包まれた。
「……ぁ!」
クダリの小さな驚きの声を聞いて、コウキが目を開くと、空から光が降り注ぎ、聞いた事の無い美しい音を鳴らしながら、遥か上へと通じる長い長い階段を作りあげた。
これは、呼ばれているのだろうか?
この先にあるものが、自分達が願っているものである事を信じて、コウキは前へ踏み出す事にした。
「……行こう、ゴウカザル」
コウキはクダリを抱えるゴウカザルを連れて、階段を上り始めた。
足を前へ踏み出す度に、強い風がコウキとゴウカザルを振り落とそうと襲い掛かってくる。
それに負けないように一段一段、足を踏ん張って階段を上り、最後の一段を上った先にあった空の中に浮かぶ透明な空間に、一匹の大きなポケモンの姿があった。
そのポケモンは光を背負ってそこに居た。
穢れの一切を寄せ付けない純白の身体。
地に足をつける事を知らない四つ足は細く、透き通ったガラスの様な床から僅かに浮いている。
階段を上ってきた二人の人間を静かに見つめる瞳からは、感情が何一つ読み取れない。
拒絶とはまた違う、凄まじいプレッシャーが常に放たれていて、今にもその場で膝をついて首を垂れてしまいたくなる。
光り輝くそのポケモンは何をする訳でもなく、ただそこに在るだけで二人の心の中に畏怖の念を抱かせ、コウキはしばらく何の声も出せず、ゴウカザルに降ろしてもらったクダリも、息を殺して目の前のポケモンを見つめ続けた。
「……アルセウス」
コウキがようやく出せたのは、ただ名前を呼んだだけの呆けた声だった。
『……それは彼女が持っていた笛。何故あなたがその笛を持っているのですか?』
テレパシーでも使っているのか、少し低くて落ち着きがあるが、温かみを感じない淡々とした声が二人の脳内に響いた。
アルセウスはコウキが笛を持っているのが不思議らしく、少年の両手に納まっている笛を静かな面持ちで見つめている。
コウキは手に持っていた笛を、アルセウスが見やすいように胸元まで持ち上げた。
「この笛はヒカリ……行方不明になったボクの後輩のトレーナーがいなくなった時に、彼女の部屋に残されていた笛なんだ」
『……ああ、なるほど。……彼女に託した分身がした事ですね』
「アルセウス、きみはヒカリの事を知っているの?」
『はい。ヒカリはわたしがヒスイ地方に呼んだ少女です』
「えっ!?」
アルセウスはヒカリと接点があるだけでなく、ヒカリをヒスイ地方に連れ去った元凶だった。
その事実を聞いてコウキは思わず上擦った声を出した。
「どうして……どうしてヒカリだったの?」
『諦めなければ、思いはいつか叶える事ができる。……それを示して欲しかったのです』
それしか問う事ができなかったコウキに、アルセウスは静かな声で経緯を語り始めた。
『わたしは様々な世界を見て、それを示してくれるに相応しい人間を探しました。……そんな時に、わたしの分身のひとつ。ディアルガの力を求めて、本来あるべき場所から無理矢理引きずり出した人間達から、かれを救ったヒカリの存在を知りました。そこでわたしは彼女をヒスイ地方に呼び、「すべてのポケモンとであえ」という試練を与えました。……あの世界は人とポケモンの距離がまだ遠かった。きっと多くの苦難が立ちはだかった事でしょう。……しかし彼女はそれを乗り越えて全てのポケモンと出会い、絆を育み、最後にわたしの元に辿り着き、そしてわたしに示してくれました。彼女にはとても感謝しています』
やりのはしらで起こった、ディアルガを巡るギンガ団との一連の出来事。
まさかあの時から既にこの話が始まっていて、彼女が神と呼ばれるポケモンによって、そんな途方もない事に巻き込まれていたとは。
そしてあのポケモン図鑑が、ヒカリがアルセウスの試練を乗り越えた証にもなっているとは思わなかった。
コウキは驚きのあまり言葉を失っていたが、アルセウスにはまだ聞きたい事がある。
冷静になる為に意識して深呼吸を何度か繰り返すと、コウキは次の質問を口にした。
「そうだったんだね……分かった。……じゃあノボリさん、って人は知ってる?」
『……ノボリ?……ああ、いましたね。そのような人間が』
しばらくの沈黙の後に、僅かに首を傾げてまるでどうでもいい事でも話すようなアルセウスの口ぶりに、クダリの表情が凍り付いた。
「……今の、どういう意味?」
『わたしが彼を、彼女より前にあの世界に呼んだからです』
「!!」
「どうしてノボリさんもヒスイ地方に送る必要があったの?」
引き攣った息を漏らしたクダリの代わりに、コウキは彼の兄をヒスイ地方に呼んだ理由を尋ねた。
『彼もヒカリと同様、どんなポケモンにも常に真摯に向き合っていました。共にいるポケモン達とも確かな絆を持っていた。彼ならわたしが望む事を成し遂げてくれるかもしれない……そんな思いで彼をあの地へ呼びました。その時のショックで彼は記憶の大部分を失いましたが、帰る場所を思い出せなければ、生きる為にあの世界に縋るしかない。わたしにとっては好都合でした』
記憶の大部分を失った?
帰る場所を思い出せない事が好都合?
アルセウスから淡々と話される種明かしを聞くにつれて、クダリの表情が徐々に怒りに染まっていく。
杖を強い力で握り込んでギチギチ鳴らしながら、彼はまばたき一つせずに、目を見開いたままアルセウスを見つめていた。
『……それから××年様子を見ていましたが、彼はあの世界に生きるポケモン達とも新たに絆を育み、あの世界の人々に貢献はしたものの、叶えたいと強く願う望みすら見つける事ができなかった。ただあの地に馴染んでいくのみで、わたしが望む結果までには至らなかった。だから彼の代わりになる人間としてヒカリを呼びました。そして彼女が彼の二の轍を踏まないように、あの地で生きる指標として試練を与えました。そういった意味では、彼もわたしが示して欲しかったものへの糧になってくれたと言えるでしょう』
ノボリがアルセウスの望み通りの結果が出せなかったから、代わりとしてヒカリが呼ばれた?
ヒカリの為の糧になってくれた?
大切な自分の双子の兄を、
唯一無二の片割れを、
自分の目的の為に理不尽に連れ去った上に、使い捨てたというのか?
自分の浅い呼吸音と、鼓動の音が身体の中でうるさく響いて、それしか聞こえなかった。
思考が停止していて、心が理解を拒んでいた。
「そんな……それなら、どうしてノボリさんを元の世界に帰してあげないの!?欲しい結果が得られないって分かったなら、その時にすぐ帰してあげれば良かったのに!彼にだって帰る場所があるのに!!」
『……帰す?何故?』
憤慨して叫ぶコウキに、アルセウスは「何故そんな事を聞くのか」と言わんばかりに、本当に不思議そうに首を傾げた。
『彼はとうにあの世界に馴染み、あの世界の人間として生きています。ならばもう帰す必要は無いのではないですか?』
その言葉が決定的な引き金となり、クダリの頭のどこかで何かが切れた音がした。
「 !!!」
クダリから発せられたのは、理不尽に対する激しい怒りの叫びだった。
今まで一緒に旅をした中で、一度も見た事のないクダリの憤怒の表情に、コウキも思わず気圧されて一歩後ずさる。
もしクダリが五体満足の状態だったら、彼はすぐさまアルセウスに飛びかかっていただろう。
アルセウスに詰め寄ろうとする彼を見て、コウキは慌てて回り込んでクダリを正面から抱きつく形で押しとどめた。
「クダリさん!!」
「 ! !! !!!」
振り払われそうになる度に体勢を立て直してクダリに抱きつくが、いくら身体が不自由とはいえ、箍が外れた大人の本気の力にコウキは何度もよろけそうになる。
それでも止まって欲しい一心で、大声で何度も呼び掛けても、叫びながら暴れ続ける彼には届かない。
コウキに邪魔されて思うように進めない苛立ちから、強く握り込まれたクダリの杖の先が、何度も、何度も地面に叩きつけられて、甲高い悲鳴をあげた。
「だめです!だめですクダリさん!!お願いだから止まって!!」
コウキの必死な呼びかけに、クダリはようやくその場に踏みとどまった。
しかし彼の怒りが収まった訳ではないので、「フーッ……フーッ……」と獣の様な唸り声混じりの吐息を漏らし、ギリギリと歯を食いしばりながら、殺意の籠った眼光でアルセウスを睨みつけていた。
「……お願い、アルセウス。ヒカリとノボリさんを元の世界に帰して。連れて行く事ができるなら、連れ戻す事だってできるよね」
『…………』
何も言わないアルセウスに、コウキは話を続けた。
「アルセウスの言う試練を乗り越えたのなら、もうヒカリは元の帰る場所に戻ってもいい筈だよね?ノボリさんにだって帰る場所があるんだ。……君がうんと言うまで、ボク達は絶対諦めないしここから動かない。何度だって言う、ヒカリ達を元の世界に帰して」
『……いいでしょう』
アルセウスがそう言った直後、再び眩い光が辺りを包み、コウキ達が立っている場所が、透明な空間から夜空に包まれた大きな円形のバトルコートの様な場所に変わった。
手の中に違和感を感じて、コウキが手元に目を落とすと、やりのはしらで鳴らした笛が、モンスターボールと同じくらいの大きさの、黄金に光る玉になっていた。
『その玉とあなた達が持てる力を使って、わたしに膝をつかせる事ができたら、二人を元の世界へ帰すチャンスを与えましょう』
「…………」
「クダリさん」
怒りに染まった顔のまま、アルセウスのいる方へ踏み出そうとするクダリを、コウキは杖を持つ方の腕を掴んで引き止めた。
「クダリさん。クダリさんはここにいてください、ボクが行きます」
「 !?」
「だめです。今のあなたは冷静じゃない。ここにいてください」
眉を吊り上げて抗議しようと詰め寄るクダリに向けて、コウキはクダリの身体を押し返して、彼の目をまっすぐ見てきっぱりと言い切った。
「…………」
「大丈夫です、ボクが絶対なんとかしますから。ここで見守っててください。シャンデラ、クダリさんをお願いね」
まだ何か言いたげなクダリと、心配そうな声を出すシャンデラを安心させる為に笑い掛けると、コウキはアルセウスが待つコートの真ん中へと向かった。

コメント
WEBイベントをきっかけに、前編~後編一、読ませて頂きました。
ヒカリを探すコウキと、ノボリを探すクダリ……珍しい組み合わせに興味を引きました。
現代に残された側の人達が必死に可能性をひとつひとつ当たって進んでいく様は、読み進めていて(当人達にとってはとんでもないでしょうが)非常に面白かったです。まだ出会って間もない事もあり、片方が沈んだ時の微妙な距離感、それによる互いへの思いやりから感じる人間性がとても良いなと感じました。
事故や身体的にどうしようもない事があって ままならないなと思うシーンや出来事が多々あれど、クダリさんの介助をするポケモン達の描写・関係性がとても好きです。
終盤のアルセウス戦は、トレーナーもバトルに巻き込まれるような戦いが未経験の現代っ子コウキが序盤に相棒ゴウカザルが倒され、これはまずいと手に汗握りました。
クダリさんは観戦ポジションに甘んじず己の出来る事を見出し、『あのホイッスル、ここで活きた!』と読んでいて滅茶苦茶テンションが上がりました。
これまでの旅路と同じく、それぞれ役割分担で互いを補い合い戦う展開が本当に熱いです。
コウキとクダリさんの共闘に新たな可能性を見出したアルセウス、という落としどころも非常に納得感がありました。
……所変わってのヒスイのターンでは、ショウちゃんもノボリさんもすっかりヒスイに慣れており どう連れ帰るのか、それとも帰らない選択をするのか。全く読めません。蓑浦さんの納得のいく作が出来ますように……!
優しい文体(という印象を受けました)でとても読みやすかったです。
特に好きだったのが後編一の3ページ目にあった『クダリが力を抜いて身体を委ねる様子を見て、近くでずっとハラハラと見ていたシャンデラは、ホッと無い胸を撫でおろして後ろを着いていった』の文章表現が豊かですごく面白いなと思いました。アルセウス戦でのサポートも映像が浮かぶようでした。
大ボリュームの作品を一気に読む贅沢を味わわせて頂きました。本当に面白かったです。
コメントいただきありがとうございます!
もうめちゃくちゃ嬉しくて、しばらく布団の上で悶えてました。
今まで書いてきたものは短編集が多くて、一つの話に対してここまで長く書いた事が無かったので、展開がダラダラになってないか、読みにくくないかと心配でしたが、読みやすいと言ってくれて嬉しいです!
片方が沈んた時のもう一人の接し方は、まだ知り合って間もなくて、声の掛け方が分からずにその場を去ってそっとしておくしかなかったコウキと、二人で旅をしてそれなりに日数が経ち、自分から寄り添いに行ったクダリと、対比になるように考えて書きました。
アルセウス戦は「直接戦えないクダリを絶対に空気にさせない」という事を絶対条件に、頑張って書いていたので、手に汗握る程楽しんでもらえてよかったです。
他にもこだわっていた所とか、癖に従って筆が乗っていた所とかも拾って読んでもらえて嬉しいです。
後編二も頑張って書いていますので、完成したらまた読んで頂ければ幸いです。
とても嬉しい感想をありがとうございました!